第13回6期会懇親の旅 平成10年9月26日~28日

少しだけ汚れの目立つ、たった一枚の領収書から、鮮やかに蘇ってくる記憶がある。

「はちろう寿し 29.400円」

うん? なんだ、これ!そんな店には行ったこともないなァ、と首を捻る。で、日付を確かめる。あっと気付いた。ゴム印で捺された住所の部分はひどく不鮮明だが、なんとか「橋場町」と判読できた。そうか、あの時のものだった。たちまち、懐かしい顔や声が見えてくる。聴えてくる……。

■関東組は先乗りして、浅野川畔で……

金沢兼六園で全員が記念撮影

金沢兼六園で全員が記念撮影

「あの時」――つまり、平成10(1998)年の9月26日のお昼時、ぽくら関東組は古都・金沢市内を貫く二つの川のうち、浅野川に架かる梅の橋のほとりのお鮨屋さんで、同じ関東組の熟女5名と待ち合わせていた。午前9時30分、羽田空港出発ロビーの2番時計下が、最初の集合場所だった。古賀宏美、松井隆、俵清隆とぼく。もう一人の関東組である福富健二は北九州組に入って、関西空港経由のバス便で金沢入りするから、と連絡を受けていた。小松空港に12時過ぎに着いた。そのころ、早朝に福岡空港から発った地元組は、一旦、関西空港に運ばれた後、観光バスで名神高速から、ひたすら北陸自動車道を北上、金沢へ向かっているはずだった。

空港からリムジンバスで金沢駅前へ。そこからタクシーで「橋場町」に向かう。近江町市場、大樋美術館を横目に、10分足らずで待ち合わせ場所と覚しき浅野川畔に着いた。卯辰山の優しい姿と、紅殻格子の茶屋街・東の廓が対岸に見える。明治の文豪、泉鏡花を育んだ「ふるさと」が、このあたりだ。

「はちろう寿し」の格子戸を開ける。と、賑やかに出迎える嬌声。もう、ビール瓶が林立しているじゃないか。疋田敦子、山県(音井)美也子、小出(井上)須磨子、この後、故人となった中山(熊丸)邦子、山本貴子。1 年ぶりの再会もあれば、高校時代以来の顔合わせもある。いや、正確にいえば、初めて声を交わすのかも知れない。

まずはビールで乾杯。彼女たちは、ぼくらより一便早くに金沢入りをし、すでに「俵屋」に立ち寄り、名物の水飴をちゃっかり買い込んでいた。

金沢は北陸きっての観光名所であり、磨き抜かれた伝統工芸の町である。それに加えて日本海がふんだんに海の幸を届けてくれる味覚の町でもある。「はちろう寿し」でつまんだヒラメ、シイラ、タチウオ、イカ、タイの味と鮮度は、この店を選んだひとの奥行きを感じさせる嬉しい「ランチタイム」を演出してくれた。それでいて、勘定は「書き出し」の領収書にあった3万円弱。当然、割り勘だから、一人当たり3.267円也。満足しないほうがおかしい。

■ふるさとの山がわが心に棲みついたらしい

この懇親の旅に参加するのは、前年につづいて2度目である。あれ以来、わが心は「八幡がえり」をしてしまった。時間を見つけては、戸田事務局長とは連絡を取り合っているし、東京在住の福富、松井、古賀とはゴルフ会まで催した。古賀にいたっては、勤務先が同じ文京区であったため、同じ組だった蔵屋勝敏を同伴してお昼の蕎麦を食べに来てくれるなど、それまでの空白を慌てて埋めようとでもするみたいに、交流を深めている。原田光久が上京した折りにも声がかかって東京駅構内のレストランまで赴いている。

間違いなく、ふるさとの山が、わが心に棲みついている。洞海湾から裾野の街をまたぐようにしてゆったりと南へ盛り上がっていく皿倉の山容。その皿倉山をそっと背後から抱きしめている帆柱山。それを見上げて送った少年期の遠い日々。

その朝、羽田へ向かうぼくを、眠たげな眼をこすりながら家人が揶揄する。

「このごろ、高校時代のこととなるとイソイソ出掛けるのね」

確かに。前日、北海道出張から戻ったばかりのその足で、金沢へ旅立つのだから。

「ははこひし 夕山桜 峰の松」

鏡花の句碑で知ったうろ覚えの一句を口ずさみながら、浅野川沿いに兼六園まで歩く。

そろそろ合流時間が迫ってきた。携帯電話で北九州組と連絡を取り合った。やっと金沢西ICから市内へ降り立ったところだという。指定された団体専用門から兼六園に入った。土曜日とあって、園内は観光客が溢れていた。待つこと30分。懐かしい顔が一塊りとなって、門からの坂道を登ってきた。

「おーい、ここだ!」

古賀宏美と一緒になって、手を振った。前年に再会を果たした連中は別として、すぐに見分けられる顔と、記憶をまさぐっても名前が浮かんでこない顔とがあって、握手をしながら、一人、一人を確認し合う。鶴恵剛は校長先生を卒業したらしい。首藤五郎はあの頃のまま、60歳台にあることに照れていた。中溝信義、福野政信、中村正人、田島浩之、成合博敏も、すぐに半世紀前の少年の顔と一つとなった。が、一人だけ、記憶を取り戻すのに手間どったばかりに、後刻、叱られてしまう。大阪在住の高橋宏道である。同じ前田地区に育ちながら、う~ん、と首を傾げたのを目敏く咎められた。

「済まん、済まん」

別れ際に、もう一度、詫びたのだが、酩酊気味だった高橋の心に届いただろうか。

■それぞれのオプション企画でいったん散って…

名古屋から、例のごとく山口昭郎が駆けつけるやら、山歩きのついでに合流したと軽やかに笑う岩下勝三も加わって、集団は33名に膨れ上がった。その舞台裏で、幹事役の戸田裕一と中村浩は、会報つくりと同時進行で、この旅の準備に忙殺されていたのを、ぼくは知っていた。とにかく各人の負担を少なくしたい、という主旨から、旅行社の募集する「北陸ツアー」に全員が参加する形をとらざるを得なかった。そのため、旗をもったガイド嬢に先導され、コースも指定されるのも甘受せざるを得ないだろう。

四季折々の表情をみせてくれる兼六園は度々訪れている。となると、記念撮影の後は、庭園の景観を愉しむより、翌日のオプショナルツアーの打合せに心が飛んでしまうのも無理なかった。

属(さっか)将之が腕をさすりながら、あの笑顔で近づいてきた。

「神経痛で腕が痛むが、足手纏いにならないなら、明日は行くぞ」

と、来た。松井、古賀と誘い合わせて、『朱鷺の台カントリークラブ』でゴルフを愉しむ企みが出来ていたのだ。原田光久はゆっくり百万石の古都を歩きたい、と断ってきたので人数は丁度だ。腕が悪かろうが、属よ、ゴルフには連れていくぞ。

最初の夜は、金沢西のビジネスホテルが用意されていた。カラオケに行くにも、夜の街は遠過ぎる。で、ホテルのバーに集結してのお喋り大会となった。

輪島の朝市(俵清隆提供)

輪島の朝市(俵清隆提供)

翌朝、それぞれが、それぞれの目的に向かって散っていった。

朱鷺の台(古賀宏美提供)

朱鷺の台(古賀宏美提供)

①輪島朝市とイカソーメン食べ放題(昼食付きで7000円)

②勝手に金沢市内散策。

③福富、岩下組は白山へ向かってバスに乗る。

④ゴルフ組はタクシーで能登半島の首根っ子にある羽咋へ。

 

「朱鷺の台」でのプレーを終えると、風呂にも入らないで、慌てて粟津へ向かう。七尾線で金沢へ出、小松までの特急に乗り継ぐ。

ゴルフの結果は、松井のしたたかなパット捌きに翻弄された3人が、揃って小遣いを献上する破目に。

 

両隣りに属将之と山形美也子

両隣りに属将之と山形美也子

揃いの浴衣姿で二つめの夜が始まった。やっと参加者全員が寛いで、昔話やら、いまの暮らしぶりを語り合う時間が到来したわけである。3日目。バスで東尋坊へ向かう。途中、九谷焼きやら漆器の会館に誘われるのだが、こうしたものは個人旅行でじっくり味わうものだから、印象は薄くなる。

バスは池にしては大きすぎ、湖と呼ぶにはちょっと気がひけるあたりを抜けていく。「吉崎御坊」の標職で、それが北潟湖と知る。ということは、蓮如がこの地に腰を据えて真宗の教えを説き、それが民衆の心を捉え、一向一揆のエネルギーにまで発展していった、あの聖地ではなかったか。一度は訪れてみたかった。まさかバスを止めて寄り道するわけにもいかない。次の機会に譲る。

■北陸の海は冬に来なくっちゃね

 

東尋坊(中村正人提供)

東尋坊(中村正人提供)

東尋坊には荒れ狂う波の飛沫はなかった。「ここは、冬に来なくっちゃね」

振り向くと、疋田敦子である。

「北陸には、みんな、それぞれの想いがあると思うよ。わたしは内灘。青春が、あそこから始まったのよね」

呟いてから、乾いた声で、あ、は、は、と笑う。深入りして聴くには、彼女の目は遠すぎた。東京に帰ったら五木寛之の「内灘夫人」でも読み返してみるか。

永平寺 傘をたたく雨音は「別れの曲」か

永平寺 傘をたたく雨音は「別れの曲」か

旅の終わりは「永平寺」だった。ここで、2組に分かれ、それぞれが帰途につくという。33万平方㍍にも及ぶ境内には、深山特有の濃い緑の間に整然と配置された七堂伽藍が目をみはらせる。修行僧の案内で伽藍中へ。僧堂の廊下で越前焼の売っていた。徳利の一つに、つい手が伸びてしまった。

外へ出ると、雨粒が落ちてきた。最後の昼食を摂る土産物屋で借りた傘が役に立つ。樹齢六百年を超える老杉の間を縫う参道を、ゆっくり下る。傘を叩く雨音が、なにやら別れの曲に聴えてならなかった。

帰京してから、四人の同窓から写真が同封された手紙を受け取った。阿部久枝提供のパノラマ写真 、俵清隆からのは、旅のスナップと一緒に「輪島の朝市で、人のよさそうな可愛いおばあちゃん」が添えられていた。

阿部久枝からは「孫娘のせいでパノラマに」と断わりのついた大振りなショツトが3葉も送られてきた。

阿部久枝提供のパノラマ写真

阿部久枝提供のパノラマ写真

永平寺から福井駅まではローカル電車で

永平寺から福井駅まではローカル電車で

古賀宏美からのは、当然ゴルフ場での記念写真だった。

「金木犀の爽やかな香りが漂ってきます。帆柱山の紅葉はまだ早いようですが黄色くなってきました」と前置きのある近況報告と東尋坊でのショット。最後に一言あった。「次回もお互い元気に参加したいものですね」

中村正人って、こんなに優しい奴だったのだ。