琵琶湖畔から奥嵯峨へ(第17回6期会懇親)2002年11月17日〜19日

奥嵯峨野の紅葉

奥嵯峨野の紅葉

たかが8ヶ月前の旅の記憶を抽き出すのに、手間取るようになってしまった。残りの人生をモノ書きでやっていきたいと願う立場としては、これは困る。2002年版の手帳を取り出して、やっと自分の足取りが確認できた。11月17日の午前9時03分に東京駅から新幹線「ひかり117号」で西に向かい、11時45分に京都駅に着いている。

そうか。八幡からのグループとは、そこで合流し、各自が駅構内のレストランに散って、思い思いの昼食を摂ったのだった。が、だれと一緒で、なにを注文したのかまでは、手帳に記していなかった。

そういう時には奥の手を使う。当事者からじかに談話をとるのだ。早速、八幡の戸田裕一の携帯電話にコンタクトしてみる。

「さて、と。あの時は二手に分かれて食事したのじゃなかったかな。中村浩、福富、岩下ときみ、それに女性軍が 3人……」

間違いなく、ぼくより記憶が細かい。礼をいって電話を切る。さらに福富の自宅をコールしてみる。生憎、留守だった。夕方、外出から戻ったらしい福富から電話がはいった。

「ああ、あの時ね。みんなで寿し定食を摂った。駅に迎えに来る貸切りバスとの待ち合わせ時間が切迫していたから」

こちらはもっと微細な情報をもたらしてくれる。こうやって「京都の錦秋に染まりに行く懇親の旅」を、ぼくの中で復元させる作業がはじまった。どこまでできるだろうか。

間違いなく、ぼくより記憶が細かい。礼をいって電話を切る。さらに福富の自宅をコールしてみる。生憎、留守だった。夕方、外出から戻ったらしい福富から電話がはいった。

「ああ、あの時ね。みんなで寿し定食を摂った。駅に迎えに来る貸切りバスとの待ち合わせ時間が切迫していたから」

東福寺の紅葉。通天橋を撮る

東福寺の紅葉。通天橋を撮る

こちらはもっと微細な情報をもたらしてくれる。こうやって「京都の錦秋に染まりに行く懇親の旅」を、ぼくの中で復元させる作業がはじまった。どこまでできるだろうか。

午後1時。参加者27名を乗せた専用の大型観光バスは、京都駅から最初の目的地へむかった。紅葉の時期に京都を訪れたのははじめてだった。真っ直ぐ洛北の嵯峨野方面に行くものとを予想していたら、逆に伏見・奈良方面へ南下していく。京都駅から10分足らずのところにぼくの知らない定番スポットがあったのだ。

東福寺も裏に回るとこの通り (右から鶴、福富、浜田)

東福寺も裏に回るとこの通り
(右から鶴、福富、浜田)

東福寺。京都五山の一つに数えられる大寺院。東福寺道と呼ばれる大通りでバスから降ろされ、そこからはゾロゾロとつづく人の波の流れにまかせて、土産物店と住宅の間を歩く。やがて肩を押し合うような渋滞がはじまった。やっとのことで境内への入り口を通過。と、そこはもう紅葉の大洪水と、見物に押しかけた見物客が一つになって身動きがとれない。五年ぶりに再会した昔の仲間と一緒に、あっという間に人の渦に飲みこまれていくしかなかった。

琵琶湖グランドホテルで全員

琵琶湖グランドホテルで全員

「大蔵友情館」に寄稿した分をベースに、紅葉の写真を加味しました。

奥嵯峨野を歩く

奥嵯峨野を歩く

このあと「鞍馬ウォーキング」を加筆予定しています。