●『武州鉢形城』の誘惑

はじめから、まっすぐ秩父を目ざしたわけではなかった。そのきっかけとなったできごとから、おつき合い願いたい。

2010年の夏、それまで、眠ったままの「有峰書店アーカイブ宝庫」(有峰書店の創業は1969年=昭和44年。その半世紀をこえる営みのなかで、歴史研究、地方史関係で掘り起こしたオンリーワン著書は200冊を超えている)を、あれこれ整理、検証していくなかで、なんともユニークで、こんな本もあったのか、とびっくりさせられた1冊にめぐりあった。『図説・井伏鱒二 その人と作品の全貌』(涌田 佑著・1985年発行)である。

今の時代には、井伏鱒二という作家は、すっかりなじみの薄くなった存在かもしれないが、近代文学に遺した足跡は、計り知れなく、大きい。夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎と並んで近代文学四文豪に数えられるほどである。「山椒魚」「漂民宇三郎」「黒い雨」が代表作にあげられるが、その資料や写真が語りかける「井伏鱒二の世界」を「図説」する、というスタイルで、アプローチする楽しい「文学アルバム」であった。

そのなかで、一瞬、ウッと息をのまされたページがあった。

「武州鉢形城」の項である。

この作品とのめぐりあいから「秩父シリーズ」がスタート

この作品とのめぐりあいから「秩父シリーズ」がスタート

――「武州鉢形城」は、井伏六十三歳の折の作品で、昭和36(1961)年8月の「新潮」から連載が始められ、37年7月に同誌連載を完了、38年7月に単行上梓された。この小説は、天正18年の秀吉の小田原攻めの際に、鉢形城の北条軍が秀吉軍に攻められて落城するさまを描いた歴史小説である。

しかしこの作品は作者の取材過程などもからめた現代小説としての一面も有し、つまり二つの場面の同時進行の形がとられるという構成の面白さがある。この構成の形は井伏作品の特徴の一つで、次の大作「黒い雨」に引き継がれていくのである。

明快な紹介に導かれて、早速、本編を取り寄せて一読。たちまち井伏鱒二という「小説の名手」の虜となってしまった。

主人公(私)がかねてから親交のあった埼玉県針ヶ谷(現深谷市)の弘光寺の住職に、寺子屋机をつくりたいので適当な木材を、と声をかけていたところ、庫裡の天井裏に眠っていた赤松の古材が送られてきた。さっそくそれを製材することを出入りの材木屋に頼んだところ、1か月後もたったところで、製材しかけたままのものを突っ返されてしまう。赤松の中に矢尻と鉄砲玉が食い込んでいて、鋸の刃をやられたというのだ。

hati 興味をそそられた(私)は、さっそく手紙で住職に問い合わせると、その赤松の出どころは、380年前の天正のころ、武州鉢形城の外曲輪、瀬下丹後(北条氏邦の侍大将)の屋敷跡に生えていたものであった旨の返事が届く。それにそえて、鉢形城落城前後の関連史料も送られてきた。その中の一つが『鉢形北条家臣分限録』という記録文書で、この記録をもとに井伏作品は、さらに高みへと飛翔していく。なんと井伏さん自身が「瀬下丹後」の末裔に会いに、鉢形城のあった寄居まで足を伸ばすことになる……。

(以下、次回更新へ)hati_tizu