「乳撫=ちちぶ」の誘惑⑥ 2012年12月07日 掲載

装飾をぐっと押さえた下郷笠鉾屋台はファンが多い。

装飾をぐっと押さえた下郷笠鉾屋台はファンが多い。

浅見さん撮影の50年前の「秩父夜祭」

浅見さん撮影の50年前の「秩父夜祭」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下郷の笠鉾屋台の秘技「ギリ回し」は見ているだけで力が入った。

方向転換用の梃子棒二本を、屋台のそり木の下に掻い込み、そろいの印袢纏の男が十数人がかりで、曳山の中心下部に凸型のギリ棒を挿入して、屋台の腰を浮かせた。

それを周囲の曳き子三十人ほどが一つになって、ギリ棒をまわして、方向を変える。そこで、ふと、気づいた。それまで威勢よく囃し手の掛け声を盛りあげていた大太鼓が叩く手を休め、小太鼓だけがトトトンとリズムをとっているだけだった。なぜなんだろう?

 

右側神主のそばに外国人の姿が。浅見さんのお連れしたお客様だろうか。

右側神主のそばに外国人の姿が。浅見さんのお連れしたお客様だろうか。

「曲打ちだな」  そばで屋台曳行を撮りつづけているらしいカメラマン氏が、こう解説してくれかかったが、人ごみにおされて、それ以上、会話が続けられなかった。が、彼のおかげで下郷の笠鉾屋台の屋根が二重になっているのに気付かされた。

「この二重屋根の上に、本来は三層の花笠、万燈、せき台が立ち、最上部に太陽をいただく。高さは15㍍をこえるので、現代は電線にひっかる。だから、特別の時以外は見られない」

なるほど、見事なつくり、というほかない、神殿さながらの造形。写真を、とくとご覧あれ。

下郷の屋台が秩父神社へ向かって曳行されるのを見送ったところで、わたしのこの祭りへの関心を深化させた『秩父 祭りと民間信仰』を、書き上げた直後に急逝された浅見清一郎さんのお宅へむかった。屋台と遭遇した秩父駅前通りと宮側通りの交差点から、さほどの距離ではなかった。

浅見夫人に、そっくりお預かりしたご主人の撮られたフィルムをすべて、つぶさに拝見したこと、そのモノクロの世界を今後、ぼくがどう生かしたいか、をお話しする。ご主人が健在なころは、夜祭の間中は、外国からのお客さんをお連れするので、そのもてなしにテンヤワンヤだったことなど、懐かしい思い出話をうかがいながら、用意されていた赤飯と秩父特産のアンポ柿を頂戴する。

12月3日午後1時半、浅見宅を辞した後は、再び秩父神社の境内へとって返した。人の出は、みるみる膨らんでいた。途中、番場通りから脇にそれた小路にある菓子屋「清月」に立ち寄り 、ふかし立ての「酒饅頭」を買い求めた。1個、100円。甘みを抑えた小豆餡を、ふっくらと包んだ白い皮とのマッチングが絶妙と評判の一品である。ついでに1個40円の「武甲山」と名付けられた一口饅頭も。この白餡も、ちょいと、いけるが、よく見ると、武甲の山容を模しているではないか。そいつをパクリ。嬉しくなった。これ、お茶うけに、お薦めだ。

中近屋台がやってきた 屋台がやってきたぞ

*三五〇年をこえる歴史を持つ祭礼の盛り上げ役として、いつも先頭に立って供奉してきたのが、この中近笠鉾。中近笠鉾は、秩父市西側に位置する中村・近戸の二町連合で奉曳されている。見どころは8棟造りの屋根。黒漆塗りに金色の飾り金具、極彩色の彫刻で飾られた姿である。

中近2*囃し手は4人が原則。町内の若い衆から選ばれる。紅白2枚の襦袢を重ねて着用し、上衣は双肌脱ぎ、襦袢は左右片肌ずつ脱いで、昼は揃いの扇子、夜は町内の印の入った提灯を持って「ホーリャーイ、ホーリャイ」と勇壮に囃したて、曳き子の曳行を誘導する。(「秩父 祭りと民間信仰」から引用)

人垣をかき分けて、神社の境内に着いたのと、中近笠鉾がその「動く陽明門」さながらの豪華な巨体を揺らせながら、鳥居をくぐるのと同時であった。きっちり人垣の最前列でカメラのシャッターを押せたのはここまで。

以下、再び、本町通りから中町通りに戻り、矢尾百貨店の駐車場に特設された舞台で、「秩父屋台ばやし」「子供歌舞伎」を観る。あとは日が落ちてからはじまる御神幸祭と花火の打ち上げを待つばかりである。

子供歌舞伎の「白波五人男」

子供歌舞伎の「白波五人男」

こんな光景はいかが? 祭りとは「幼い日の記憶」「ふるさと」と素直に結びつく「癒し」の特効薬のようだ。

秩父屋台囃しこのリズムが祭りになくてなならない

秩父屋台囃しこのリズムが祭りになくてなならない

祭りの記憶1 祭りの記憶2

神社境内に戻ろうとするのだが、ぴしゃりと規制を受けて鳥居をむなしく見上げるだけだった。

こりゃ、だめだ。で、ほんの少し裏道に入ったところで蕎麦屋を見つける。そうだ今のうちにお腹を満たしておこう。この選択は大当たり。「そば処・入船」は同じ想いのお客が、朱塗りの大盃のようなお椀にもられた蕎麦にとりついていた。秩父の蕎麦は、癖がない。天ぷら蕎麦を注文する。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 26 中町屋台

午後6時30分。そろそろ「御神幸行列」がやってくるはずだ。本町通り交差点で、人垣の真うしろに立って、主役の到来を待っていた。「秩父夜祭」は秩父神社の女神・妙見様と武甲山の男神・龍神様は年に一度、逢い引きする祭りといわれている。両神が相見える場所、お旅所へむかうのだ。神を遷した御神幸行列は、総勢200人を超え、長さは100メートル余りだという。

先頭は神の依代(よりしろ)となる大榊、と聞いているが。恐らく、ここからは見えないだろう。大榊につづいて道案内の神々、万燈、太鼓など……。と、歓声が湧く。行列がやってきたらしい。なにも見えない。やっぱり、あれこれ歩いて回らず、どこか適当な場所を決めて待ち受けるべきだった。

歓声が一段と大きくなった。氏子の各町名の入った高張提灯の列がやってきたのだ。辛うじて、人垣越しにカメラのシャッターを切る。しんがりを務める御神馬(ごしんめ)の姿もちらり。いけない、もうすぐ7時になる。西武秩父駅発のチケットは8時25分。どうやって駅まで進めばいいのか。心配になった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 28花火

秩父神社の左脇を抜け、国道140号線に出る。これなら15分くらいで西武秩父駅にはつけそうだった。ホッとした瞬間、ドーンと花火の打ち上げられる音が弾けた。やや時間をおいて、バリバリと冬の夜空に光の花が開く。

飯田鉄砲祭それを仰ぎ見ながら、いったん、秩父市役所に隣接した「お旅所」に立ち寄る。そうか、やっぱり、ここの観覧席をゲットしないことには、この祭りの肝を味わうことはできないことを実感した。

あきらめて、駅への道を急ぐ。駅前の広場は、花火をみるだけなら、格好の観覧スペースだった。が、それだけでは何かが欠ける。来年、出直すとしよう。

改札口を抜けた。と、目の前のボードに、パンフレットが用意されていた。秩父の祭りの掉尾をかざる小鹿野町飯田の「鉄砲まつり」が、この12月の第2日曜日とその前日に催されるというのだ。秩父の誘惑はまだ続くのだ。