~小泉姉弟の 『Dreams Come True』序章~

2012年12月9日、日曜日の朝7時、いつもの慣れ親しんだコースをとって筑波サーキットへ向かった。雲一つない冬の空は、どこまでも、透明な視界がひろがっていて、北へ向かうその先には、筑波の山塊だけが、だんだんとその姿を膨らませる。

東京外環から、三郷のJCを抜けて、常磐自動車道に入る。利根川を渡るとすぐに谷和原IC。そこから筑波サーキットまでは、20分程度だ。もう10年近く愛用している、わがプログレのツインカム3リッター・エンジンは、いつものように、ストレスなく、機嫌よく回っている。そして、ぼくの気分も、すこぶる付きの「ご機嫌さん」だった。

HOT-VESION Vol.119

HOT-VESION Vol.119

その前夜、ホットバージョンの本田編集長から確認の電話が入った。「86チューニングカー・バトル開始は午後1時半です。ただ今回のロケは専有ではなく、“サーキット倶楽部”主催の走行会に便乗するかたちですから、よろしく。練習走行は9時から20分くらいあるので、できればそのとき……」

土屋、織戸、谷口のトリオも、当然、筑波に。そして、旧ベスモの技術スタッフにも会える。そして前回のHV118号で、相変わらず、元気でユニークなエネルギー満々のBee-Racing、今井ちゃんも出場するという。何か、とんでもないことが待っている……そんな期待感がどんどん膨らんでくる。それにもまして、もっともぼくを喜ばしてくれたのは、新着ホットバージョンの出来のよさだった。

筑波までのクルージング中、ずっと、前夜、鑑賞した内容を反芻する。「峠・最強伝説」のギンギンの緊張感も悪くないが、今号の目玉は、ズバリ、「AE86岡山N2決戦」だ。オープニングシーンは風に揺れる薄の穂。その向こうに見慣れたAE86の姿。ナレーションがしっとりと「ハチロクの歴史」から説きはじめる。こんな具合に……。

 

奇跡のパッケージ AE86

奇跡のパッケージ AE86

――デビューから30年。いまだに多くのドライバーを虜にするAE86。1983年、世界の大衆車がFF車へと移行した時代。TOYOTAは当然のことながら、主力であるカローラのFF化に踏み切る。しかしスポーツグレードのレビン・トレノについては、当時、まだ未熟だったFFレイアウトでつくることを断念。その上で、先代TE71で使われたリジットアクセルのFRシャシに、新設計のツインカム16バルブのエンジンを搭載して、AE86を仕立てたのである。

おい、おい。これは本当にホットバージョンかね。これって、先年、消滅してしまった、どこやらの「SPECIALバージョン」みたいだぞ。でも、結構、聴かせてくれる。もう少し、このハチロク讃歌を続けようか。

――外乱に弱く、ドライビングミスに敏感な旧式のシャシと、レッドゾーンまで、コンマ98秒と謳われたエンジンとの組み合わせは、ドライバーを育て、シンプルで改造容易な車体工程はあらゆるモータースポーツのベース車両となり、チューナーを育て、この妥協の産物ともいわれたクルマは、奇跡のパッケージとなった。デザインや、雰囲気を味わうスポーツカーではなく、本当にスポーツするための道具として愛されつづけ、あらゆるモータースポーツに使われてきたAE86。

しかし、1990年にはそのホモロゲーションも終焉を迎えたハチロク。それでもハチロクを愛し、現在でもなお、JAF地方戦としてレースを主催してきたサーキットがある。年に1度、盛大に行われるハチロク・フェスティバルは今年で13回目。それが岡山国際サーキット。いわばAE86の西の聖地である。この「岡山N2決戦」に、新着のホットバージョンは焦点を合わせていた。それも兵庫県宝塚で「カーファクトリー」を営む姉と弟のハチロクに賭ける、そのひたむきな生き方を通して……。

岡山決戦  9月22日の岡山国際のピットロード。キリッとGTウィングとエアロパーツをまとったハチロク・マシンのコースインを誘導する大柄な女性がクローズアップされる。長い髪をあっさり後ろに束ね、Gパンに半袖のポロシャツ。小泉亜衣さん。年齢は、わからない。キャリアからいえば、30歳台、今回の素敵なヒロインだった。

このハチロク祭りを手掛ける実行委員でもある亜衣さんは、この記念すべきイベントで、土屋圭市がドライブするマシンを提供したいと申し出ていたのである。

「ああ、ハチロク慕情」のヒロインは、「カーファクトリー亜衣」の代表、夢に向かってひたむきに……。

「ああ、ハチロク慕情」のヒロインは、「カーファクトリー亜衣」の代表、夢に向かってひたむきに……。

「10年前にAE86を始めたときの目標が、筑波でやっている《N2決戦》を岡山に呼びたい、というものでした」

それも、自分たちの手がけたマシンを土屋圭市のドライビングに委ねたい、という夢だった。それにはN2決戦でそれなりの成果をあげて、信頼を得なければ、と。弟の孝太郎さんをドライバーに仕立てて、筑波にもたびたび遠征した。が、結果が出ない。そこへ手を差し伸べてくれたのがTRDの故・桜井忠雄氏だった。わざわざ東京から出向き、エンジンづくりを伝授してくれた。惜しげもなく、クルマへの魂の入れ方を伝授してくれた、というくらいだから、亜衣ちゃんのもつオーラが、素直に理解できる創りに仕立てたホットバージョン、このコーナーのディレクターはだれなのか、気になるじゃないか。

クルマに魂を入れる――それが桜井さんのモットーだった。

クルマに魂を入れる――それが桜井さんのモットーだった。

画面は、レース前日の土屋圭市によるテスト走行のシーンにかわる。桜井カムが心臓部におさまった真新しいハチロク。そのテストの様子を、カメラと音がじっくり捉えている。こちらまで息がつまるような緊張感。

ここからの岡山国際レポートは、ひとまず次回に譲る。

午前8時10分、筑波に着いた。割り当てられた11番ピットをのぞくと、すでにスタッフは、それぞれの持ち場に散ってしまっていて、誰もいない。で、ピットウォーク。うん!?

鮮やかなイエローの86のそばに立つドライバーと目が合った。お互いが駆け寄る。握手する。Bee-Racingの今井ちゃん。そして、つづいて……。小泉亜衣さんと、弟の孝太郎さんも、筑波まで来ていたのだ。早速に、亜衣さんにご挨拶しなくちゃ。