平泉高舘山・義経堂の義経像

平泉高舘山・義経堂の義経像

五木寛之さんの痛快カーアクションロマン「疾れ! 逆ハンぐれん隊」(全15話)の第5話は、「ジンギスカンの謎」であった。その中から。こんなシーンがあったのを思い起こす。

函館に流れ着いた竜さん、ミハル、ジローの3人組が、ジンギスカン料理を平らげたところで、竜さんが持ち出した話が「ジンギスカン=源義経」説だった。

ミハルが横から口をはさむ。

「ヨシツネは東北でしんだはずよ」

「いや、それがだね……」

竜さんは片膝のりだして、

「義経は本当は死んじゃいない、という説があるんだ」

「生きていたの?」

「うん。追手の目をくらますために、身代わりを死なせて、自分は北海道へ逃れたのだという人がいる」

「へえ」

おれもそういう話は嫌いな方じゃない。

つい竜さんの話にみみをかたむける姿勢になっていた。

この辺が五木さんのにくいところで、このあと金田八北洋という痛快な老学者に托して、「ジンギスカン=源義経」という13世紀に端を発した歴史ロマンを登場させる。で、ぼくもそういう話は嫌いな方じゃないどころか、大好き人間、「ベストカー」連載でこの話が登場したのは1986年で、その話がヒントとなって、そのあと五木さんになり替わり、ひそかに「ヨシツネ伝説」にかかわる資料を読み漁り、いっぱしの知識だけは貯めこむことにした。

そもそも、義経伝説とは? ぼくなりに、こうまとめてみた。

平泉中尊寺の金色堂

平泉中尊寺の金色堂

――源判官九郎義経(1159~89)のわずか30年の生涯を、短くとも光に溢れ、鮮やかだったと見るか,それともその最期の哀れさから,虚しい無常を感じるかは、それぞれの受け取り方、大きくいえば,人生観によって違ってくるものらしい。

平安末期、源氏の棟梁義朝の庶子として生まれ、幼時は牛若丸と名乗って鞍馬山で育ち、やがて奥州の王ともいうべき藤原秀衡のもとで平泉に庇護された。異母兄頼朝挙兵の報。少数の家来と参陣、平家追討の指揮官を命ぜられた。この若者の戦闘時における異能が花開く。が、義経の大功と人気を、頼朝は喜ばなかった。追討令を出された義経は弁慶ら郎党とともに奥州に逃げ、再び秀衡を頼った。

秀衡が逝く。その子・泰衡は頼朝の圧迫に勝てず、3万の大軍をもって義経のいる衣川の館を襲った。と、ここまではちょっとした歴史好きならご存知の義経ストーリーである。そこから、もう少し踏み込んでみると――。

妻子を道連れに自刃した義経のものといわれる焼首は、初夏の暑い時期に45日もかかって鎌倉に届けられた。それは身替わりの郎党のもので、すでに義経は平泉を脱けて、北をめざしていた、というのが「義経北行伝説」のはじまりである。

平泉郷土館裏手、千手堂脇で眠る「伝・義経妻子の墓」

平泉郷土館裏手、千手堂脇で眠る「伝・義経妻子の墓」

その義経生存説は、江戸時代初期からいくつかの古文書、たとえば『本朝通鑑』に「義経死せず、逃れて蝦夷に到り、その遺種を存す」と記されていて、注目をあつめたという。近くは大正時代になると、小谷部全一郎が発表した『成吉思汗(ジンギスカン)ハ源義経也(なり)』は爆発的なブームを呼び、昭和35年(1960)の高木彬光(あきみつ)の『成吉思汗の秘密』、さらには佐々木勝三の『義経は生きていた』などが出版され大ヒットし、義経の死を資料があやふやなこともあって、英雄不死鳥伝説を育てあげてきていた。

確かに、みちのくには義経北行伝説の足跡が、800年経った今でも、内陸部、海岸地帯にも数多く点在する。それは、みちのくの庶民のこころのなかで育まれた、薄幸の義経を生かし続けたいと願う、切ない祈りと同情ではないだろうか。

道筋のあちこちに、この旅情を刺激する案内板が!

道筋のあちこちに、この旅情を刺激する案内板が!

その一つ一つを自分の目と足で確かめる旅を、いつかはやってみたい。その想いをあたため続けてきて、やっと2002年の初秋、ぼくは「義経伝説」の起点、平泉の高舘にある義経堂を振り出しに、「義経伝説」の痕跡をたどって北上山地に入ることができた。遠野、釜石、宮古、久慈、八戸とみちのくの各地を北上し、ついには異端の水軍・安東氏の本拠十三湊(青森県西海岸)、そして義経が当時、蝦夷地と呼ばれた北海道へ渡るためにしばらく留まったといわれる津軽半島・竜飛崎手前の三厩まで足を伸ばしたものだ。

その時の記憶を今回、この際、あらためて記録にしておこう、と思う。というのも、二つの理由があったからだ。

その一つは、東日本大震災に見舞われた地域のなかに、いくつかの「義経伝説」ゆかりの地が含まれていることだ。とくに、釜石から宮古にかけての海沿いの地域が心配だ。あの伝説は「北の人たち」が、心の中に紡いできた「敗者義経復活の夢」だったのではないか。義経の逃げ延びていった道を辿れば、それが何だったのか、を知ることができるかもしれない。われわれに勇気を与えてくれる復活のドラマに、触れることができるかもしれない。

もう一つは、明るい話だ。伝説の起点、平泉の中尊寺が「世界遺産」に登録されて、改めて注目を集めていること。平泉を訪れるのなら、ぜひ高舘にも立ち寄って欲しい。その見どころを伝えたいからだった。以下、ぼくの『義経伝説を追って、北へ』の記録を《番外編》として、どうぞ、そのへんをウォーキングする気分で、お付き合い願いたい。