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  ぼくだけの「VWコラード疾風録」

1990年12月、JAIA輸入車ショーが終わり、いよいよ91年モデルのコラードを試乗できる日がやって来た。今回は、ビデオマガジン「ベストモータリング」の編集長である正岡貞雄氏に、試乗を依頼した。日本の代表的高級車セルシオを所有、モータースポーツと深く関わり、自身もドライバーとしてレースを続け、それら実際と体験からクルマのあり方、楽しさを伝え続けてくれる正岡氏。その正岡氏に「ご多忙な日常生活の中でコラードを使い、語ってください」というお願いをさせていただいたわけだ。さらに「ベストモータリング」が予定した日本自動車研究所と筑波サーキットでのテストに同行できるというチャンスまでいただいての貴重な試乗記をお届けできることとなった。(掲載誌リードより)


クラブ活動の紹介です。みんなで集まって運動したり創作したり楽しいよ。

*異国の公女に魁せられて
 司馬遼太郎さんに『韃靼(だったん)疾風録』という名作がある。なにかに行き詰まったときや、現状を見据えなければならないとき、ぼくは勇気と決断のヒントを求めて、この作品を書棚からひっぱり出してしまう。3年ほど前に中央公論社から上・下巻で刊行されたもので、それぞれが500ページを超える大長編でありながら、いつも新鮮な想いで読み返すことのできる有り難い存在だ。

 物語は16世紀末から17世紀初めにかけて、当時、明(ミン)と呼ばれていた巨大な中国が、その北方にある野蛮な少数民族、女真族(満州族)の侵略を許し、あっけなく崩壊していった歴史的大動乱を、ひとりの平戸武士・桂庄助と暴風雨で漂着した女真の公女アイシン・アピアとの数奇なロマンをかかわらせながら、時代の流れを変えるエネルギーとは何か――を示唆してくれる。

 わずか60万人足らずの女真族が強力なリーダーのもと、文明の中心にデンと腰を据えていた明の漢人官僚組織をあっけなく滅ぼし、清( シン)という新しい国家を作りあげた(それが270年間続くわけだが)原動力は、北方の草原を疾駆したフレッシュな「野蛮」のエネルギーだった、と司馬さんがさりげなく語りかけている。すべてか成熟しつつある現代、新しい何かが生れることが待望されはじめた現代の投影を見出して、このへんが大事なキーワードではないかと思わせる、不思議な魔力をもつ歴史小説である。

 さて、VWコラードG60である。幸運にも、かなりの日数をかけて試乗できる機会を得た。それもデリバリーされたばかりの91年モデル。オドメーターも1700キロを過ぎたばかりで、つまりはエンジンの慣らしを買ってでたようなものだった。 

 150台だけ上陸を許された90年モデルはアッという間に売り切れてしまったというから、今度の91年モデルも機会を逃すと、二度とお付合い願えないだろう。年の暮れのいささか多忙な時期ではあったが、ふたつ返事で「テストドライバー」役を引き受けた。

 もうひとつ、なにがなんでもコラードを疾らせねばならぬ、せつない「慕情」がぽくにはあった。というのも、90年5月のスポーツランド菅生での「VWゴルフ・ポカールレース第2戦」に一度だけ出走しているが、エンジンはまったくのノーマルでサスペンションだけスポーツキットを組み込んだ「VWゴルフCi」の、なんとも痛快で、スポーツごころを堪能させてくれたポカール仕様の高いボディ剛性と、どんな局面でも余裕を与えてくれるロードホールデイングに触れた時から、秘かに心を動かされていた。そこへCiの兄貴分の「GTi」より、さらに1ランク上のFFスポーツじゃないか。

*まずは東名高速クルージング
 初めてコラードと対面した瞬間、「あっ、なにかが始まったぞ」と、嬉しくなった。落ちかけた冬の陽がほとんどま横から射しこむアングルもよかった。フエラーリ風にリアのオーバーハングを鋭利な刃物でスパッと剃ぎ落とした、ヒップポイントの高いシルバーの「生き物」がこちらをにらんでいる。前傾姿勢を強調したデザインはコーチビルダーの名門カルマン社のものだというが、小ぶりなボディの張りのある脹らみとひとつになって、まるで人間の調教なんぞは受けつけない、それでいて愛情に飢えている野性の馬のようにこちらを見る目が透きとおっていた。官能の血がズキンとうずいた。

 このコラードを受けとった翌日は休日で、ゴルフの約束が入っていた。富士山を西側から真正面に見据えるゴルフ場で、東京から160qほどの距離にあった。実のところゴルフにいくのに、左ハンドルに抵抗はないにしても、日頃乗りなれない、右手で操作するマニアルミッションはどんなものか、ちょっと迷った。ゴルフをする前に、疲れてしまうんじゃないか、と。   

 午前7時ジャストに、用賀から東名高速にすべりこむ。朝の陽が昇りはじめたばかりだから、まだほの暗い。追越し車線をいくクルマはまばらである。やっとコラードとふたりきりになれた。

 VW社がコラードをスポーツカーと自負する理由は、すぐに理解できた。1・8リツターのG60エンジンは、低・中速域で特別に快く応答してくれる。この動力性能は、コラードの精悍でしなやかなフォルムを裏切らなかった。「Gラーダー」と呼ばれるスーパーチャージヤーが、どの領域から過給しはじめたのかまったく体感できないほどのスムーズさで、ぼくだけのコラードに鞭をいれるのだ。

 次に、乗り心地の変貌に、やられた、と脱帽する。自宅から現状8号線を南下しているときには、率直にいって、あまりにもダイレクトに路面に反応したがる性癖に、もう少し優しく駆けたら、と叱ってやったところだ。

 それが、どうだ。東名を駆け出した瞬間から、まるで氷の上を確実にエッジを立てて滑走するように、足もとがなめらかになった。だから、だろう。路面からの情報がいちはやくキャッチできる。コラードとぼくは、だんだんとひとつに溶けあっていく……。

 シートのホールド感。ほどよい硬さが、腰に難点をもつぼくには、なんとも収まりがいい。やや腰高に確保できる視界は、もっとスポーツしろよ、とぼくを誘惑する。

 長い下り板をいっきに駆けおりた.6000回転の少し手前で、エンジンの伸びが頭打ちになった。どうやら素性は中・低速卜ルク重視らしいぞ。

 大井松田ICと御殿場IC間の登り坂にさしかかる。なんという活発なレスポンスだ。右手で繰るマニュアルトランスミッションが、小気味よく望ましいギアの位置に吸いこまれていく。きつめのコーナーへのアプローチ。スロットルの開閉で姿勢の制御を試みて、嬉しくなった。痛快なレスポンスで、こちらの気持ちをいやがうえにも盛りあげてくれる。クルマでスポーツする感覚を、目覚めさせてくれるのだ。どんな種類のコーナーにたいしても臆することなく入って、ちょうどのステアリングワークとアクセルの開閑で征服させてくれる。コラードの鍛え抜かれたハンドリング性能を絶賛した友人の顔が、いくつか浮かんだ。

 やがて彼らが嘘の情報をあたえたことに気づいた。シフトのフィーリングが渋いのが欠点かな、と。が、そいつは違うね。短いストロークで気持ちよく、スポッときまるじゃないか。多分、91年モデルで改良されたに違いない。

 8時ジャスト。富士ICで東名高速から降りた。富士宮市を抜け、富士川沿いに走る.コースまであと5キロの標識が出たところからワインディング路が始まった。ブレーキ性能のテストには、絶好の舞台だったが、登りより下りの方が条件が苛酷だから、帰り路に譲るとしよう。


*GOLFメロメロ、腕パンパン
 ゴルフの結果は、小見出しにあるように無残なものだった。オフィシャルのハンディは12。ただし、これは17年も昔に取得したもので、特にこの10年、自動車レース出場という年甲斐もない「生き甲斐」を発見し、週末はサーキットで暮らすことが多くなって、怠けるだけ怠けているから、間違いなく腕は落ちている。それでも大技はまだいい。ドライバーは右にプッシュアウトしたり、左へひっかけることはあっても、しつかり220〜230mはキープできる。が、小技となるともうメロメロ。つまりは致命的な実戦不足。

 そいつは単に、スポーツする熱い心を喪った男の哀れな末路じゃないか……。

 コラードの嘲笑が聴こえる。                   

 熱いスポーツごころ、か。やってみるか。午後のラウンドは、邪心を捨てた。ひたすらアクセリングワークに神経を傾けるように、柔らかく、クラブをきれいに振りぬくことだけを心がけた。と、どうだ。6ホールをパープレーで通過してしまった。おお、久しぶりに30台か。それがいけなかった。われながらギコチないスイングに逆戻りして、結局は残り3ホールで5オーバーを重ねてしまった。  

 快い燃焼感に包まれて、帰路についた。さあ、もうひとつのスポーツで燃えてやるか。前を疾るのは、この日のプレー同伴者だったガンさんこと、黒澤元治氏。速い! ダークグリーンのメルセデス560SELがひとつのコーナーを曲がるたぴに消えてしまいそうになる。負けずにぼくのコラードが追う。

 パワーも重量も倍近くある「ガンさんベンツ」の制動ポイントより少し奥めでブレーキング。きれいにスピードを吸収してくれる。そこでブレーキを少し残してやりながら、クリッピングポイントでアクセル・オン。たっぷりととられたサスペンション・ストロークを駆使して、コラードはしなやかに踏ん張り、ぼくになんの不安も伝えてこない。195/50Rにサイズアップして、P600をパートナーに選んだ効用も認めていい。特に、コーナリングしながら加速に入ってからの強靭な足腰の鍛えられかたは、並みのものではなかった。これだよ、これだ! ガンさんのニヤリと笑う後ろ姿が、近づく。

 2速3速の繰り返しで、右腕がやたらと忙しい。それにひとつだけコラードに注文をつけたい。左ハンドルの場合、どうしてもアクセルペダルの右側にゆとりがとれない。そのため、たかが24pにすぎないぼくの右踵が、ヒール&トゥでセンター部の壁?にひっかかって、回転をきれいに合せることが難しい。ひょっとして、ドイツにはヒール&トゥといった高級なドライビング・テクニックはないのかしら。ま、つぎの朝には、筑波サーキットで本職のレーシングドライバーに試してもらう機会がありそうだから、ぼくのやり方がまずいのかどうかも分るというもんだ。  

 そして、つぎの朝がきた。ぼくの右腕はパンパンに張っていた。

* 筑波・谷田部のテスト・ステージで
 前日同様、朝も暗いうちに自宅を出た。         

 今度は常磐自動車道だ。江戸川を渡ったときが午前7時。東の空がバラ色に染まったと思ったら、ゆらめきながら朝日が顔を出す。

 ぼくが編集長をつとめる月刊ビデオマガジン《BestMOTORing》が、この朝はHONDAのクルマを中心にして、筑波サーキットでFFスポーツの「バトル」を企画していた。つまり、コラードにとって運動性能では日本市場でのライバルとなるシビック/CR-X、インテグラと一緒にスポーツしてみようというのだ。

 担当ドライバーは90年のF3チャンピオンとなった服部尚貴くんを指名した。彼も「VWゴルフ・ポカールレース」でステアリングを握っているから、この日を楽しみにしていた。結果は、X-TECエンジン軍団の筑波のギア比にバッチリ照準を絞った仕上りの前に一歩譲ったが、その野性味たっぶりな存在感は、これからのクルマの在り方に、かなりのインパクトを与えるに違いない予感をふり撒いたことを報告したい。因みに、服部くんのラップタイムは1分16秒20で、CR-Xは1分13秒67と差がついたが、服部くんによれば、ギア比さえ変えれば、サーキットでもそこそこ行けるでしょう、とのことだった。

 ぼくも3周ばかりコラードで楽しんだ。タイムは、服部くんの4秒落ちだったが、汗をかき、危うく眠りかけていたぼくのスポーツする闘争心を呼び醒ましてくれたコラードの魔力に、感謝しはじめていた。

 それはちょうど、司馬さんの小説で触発された「野蛮」というテーマにめぐり逢ったときに似ていた。成熟とか飽食とか停滞とか、文明や人間が病みはじめたとき、それをみずみずしいエネルギーで一気に吹き飛ばすのが「野蛮」という存在なのだが、この数日、ぼくを虜(とりこ)にしてしまったコラードからのメッセージが、「野蛮」を「スポーツ」に置き換えてご覧、というものだった。ともかく威勢よくエイヤッと痛快にコーナーを征服し、草原を疾駆しようじゃないか。……そんなコラードの創り手の声が聴こえてくる。それも透明で響きのよい音色で。

 コラードが引きとられていく。オドメーターは2700qを表示していた。別れるのが辛かった。

                                 VW‐WORLD No,13(91年2月発行)