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五木寛之さん「浪夢号」秘話
五木さんが休筆活動に入ると、にんまりと喜ぶ不逞の輩がいる。実はぼくもそのひとり――。「休筆」するのに「活動」とは奇妙な言い回しだろうが、長い未完の小説をかかえて書き続けているときよりも、休筆中のほうがどこへでも気ままに動き回り、ぼくらを誘い出しては、旅、音楽、クルマ、この国の古代史について、おしゃべりを聴かせてくれる。時には未知の土地へ一緒に旅ができるのである。
だからこそ――はじめての休筆(71年秋から3年)のあとは「凍河」「戒厳令の夜」、2度目の休筆で「風の王国」「ヤヌスの首」という、とぴっきり新鮮な視点をもち、それでいてまるで年代もののワインを味わうような、香り豊かなコクのある作品(ロマン)にめぐり逢える。「ああ、あの時の旅はそんな狙いだったのか。あれが五木さんのなかで醗酵すると、こうなっていくのか」と、そのたぴに嬉しく納得するのである。
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あれは79年の初秋だったろうか。眼下に札幌の夜景がきらめいていたからプリンスホテルのスカイラウンジで、真夜中の珈琲を飲みながら、五木さんとおしゃペりを愉しんでいた時の話だ。 ポツンと五木さんがこんな〈夢〉を披露した。 「ギンギンにクルマを走らせて楽しむ時代はもう終わったんじゃなかろうか。べットやトイレ、冷蔵庫もついている動く書斎が持てたらいいね。オーディオも本格的なやつを積みこみ、本棚に文庫本をいっぱいつめて、ひとり気ままに自由な放浪の旅に出るのです」
いいですね――と、答えたものの、そんな夢みたいなクルマがこの世にあるはずもない。自前で創ってみようじゃないか。話はすぐにまとまってしまった。 |
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早速、五木さんを中心に徳大寺有恒さん(自動車評論家)も加わって、「理想のクルマを創る」プロジェクトチームが発足した。
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アムステルダムを振り出しにヨーロッパを
3000キロ走破。ローテンブルグで |
五木さんの注文が凄かった。ベースは市販のワンボックスカー(エンジン部帝と居住部が一体になっている)にするにしても、ミッションはAT、4輪駆動で、エンジンは夕ーボ付きときた。まさに夢のクルマである。
ともかくトヨタがこのアイディアに乗ってくれた。80年6月(正岡註=ああ、なんと、あれから23年が経っている。いま、売れているのはこのテのSUVばかり。アルファード、エルグランデと)、ハイエースの裸のシャーシを、75万円で五木さんが買いこみ、それをベースにコミユーターのボディパネルをのせ、当時はまだ市販前のOD付きATのL型ディーゼルエンジンを大胆に採用した。つぎに並みのバッテリーでは電力を賄いきれないので、シヤレードの1リットルエンジンを後部に搭載して発動発電機としたのも大胆な発想だった。
そのため、フレームを60センチメートルも延長した。五木さんの「胎内願望」を容れて、室内は外から覗かれないよう工作もした。後方確認用にバックアイ・カメラを据え、運転席でモニターできるようにした。TVはもちろんビデオデッキ付きだし、オーディオ装置も凝りに凝った――名づけて「浪夢号」。重量はなんとニ・五トンにもなってしまった。
ともかく浪夢号に寄せる五木さんの情熱は凄かった。夜明けのシエークダウンテストにも、わざわざ茨城県谷田部のテストコースまで足を運んだほどだ。
80年11月の国際オートショーに参考出品して大いに話題をさらった浪夢号だったが、さて車検という難関に遭遇する。ナンバーがとれなければ、どんな理想的なクルマでも街は走れない。改造部分が徹底的に洗われた。陸運局がやっとOKしてくれたのが81年の4月。待ちくたびれた五木さんは雨の箱根路をドライブしただけで、そのあと浪夢号のハンドルを2度と握ろうとしない。 |
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結局は法規に縛られて、妥協の産物となった浪夢号に、魅力がなかったのだろう。
ちょうどその頃から、五木さんが見抜いていたように、自動車業界はワンボックスカー・ブームに突入していた。トヨタからも浪夢号によく似たデザインとカラーリングのハイエースが発売された。五木さんの心が急激に醒めていくのが手にとるようにわかるだけに、こちらも辛かった。今でも大ぶりなシルバーメタのワンボックスカーを見るたびに、ぽくにはそれが浪夢号に見えてならない。
(再び正岡註=当時のトヨタ広報の最初の担当は、現在参議院議員の直島さんで、それを引き継いだのが広報部長から執行役員にまで昇進した中井さんだった)
さて、本書には79年10月から80年5月まで「日刊ゲンタイ」に連載されたトーキング・エッセイ「流されゆく日々」が収録されている。残念ながら、同じ時期に進行していた浪夢号プロジェクトのくだりは1行もないが、その五木さんの先見的な試みが今もなお、わが国の自動車社会に明確な足跡を遺しているのは事実だ。
それ以後、クルマに関してなにか面白いことを思いつくたびに、五木さんは声をかけてくれる。クルマでヨーロッパを3000キロも迷走したり、「五木レーシングチーム」を結成して鈴鹿サーキットのシピックレースに参加したり……。
あるいは葛城の古道を国産車のカブリオレで風に吹かれて走ることをそそのかせてくれたり……。
ただ一つ、五木さんの歌声をぼくはまだ聴いていない。多分、深夜の横羽線を、お気に入りのメルセデスの4輪駆動車、ゲレンデバーゲンを走らせながら、こうハミングしているに違いないのだから。
♪ ユー マスト リメンバー キッス
ア キッス イズ ゼアラ キッス
懐かしい映画「カサブランカ」の挿入歌「アズ・タイム・ゴーズ・パイ」の歌い出しは、確か、こうであったと記憶している。
§五木寛之さんの「流されゆく日々H アズ・タイム・ゴーズ・バイ」の「解説」として執筆 |
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