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10年目の再会/北国ひとり旅
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はじめて外国車のオーナーになった時の少年のような昂りを、懐かしく噛みしめなおしている。B4とよばれる新しいアウディ80と3日間、一緒に暮らしてみるうちに、この10年間、心の奥のどこやらで呼吸を潜めていたものの正体が何だったのか、ひょいと判ってしまったのだ。
ツィンキャブのカローラSLクーペを皮切りに、スカイラインGC10を45、 47、49のそれぞれの年式を3台、自慢気に乗り継いだところで、自動車雑誌の創刊責任者になつた。昭和52年の春だった。オイルショック、排ガス規制のダブルパンチで青息吐息のわが国の自動車業界。49年式のスカイラインGTも名ばかりのなんとやらで、アクセルをいくら踏んでも坂道の途中でシフトダウンを求めてきたものだ。だからといって誰が悪いわけでもないし、そんなものだと諦めかけていた。
「だったら、まだ排ガス規制の適応からはずされている外国車になさいよ。そうしよう。ぼくが選んであげよう!」
やっと徳大寺有恒のペンネームが定着しかかっていた杉江博愛さんが、ぼくのぼやきに反応してくれた。
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1月後、AT/右ハンドル仕様の淡いブルーのアウディ80が手元に届けられた。早速、そのころお気にいりだったひとに連絡をいれ、関越自動車道をひたすら北へ……。本来、左側にセツトされていたものを、無理矢理、右側に移植したペダルの位置には驚かされた。
咄嗟にフレーキぺダルを踏んだつもりが、つい真ん中寄りにあるアクセルペダルに右足が当ってしまう。おっと!という危ないシーンを何回が演じるうちに、こちらも慣れてくる。
そうなれば、しめたもの。1.6リッターとは信じられないご機嫌な脚力に魅せられて、まだそのころは東松山までだった関越を降りてからも、東京へ引き返す気になれない。ステアリングを軽く切り気味にしてからアクセルをポンと放してやると、ひょいとインに巻きこむ不思議な挙動……これがFF車特有のタックインというやつだな!それに4本のタイヤがしっかり路面を抑え込んだこの安定感は、いったいどこからくるのだろう?運転席からのこの見通しのよさ!
どうしてこんなにも国産車と次元が異るのか。目を洗われるとは、このことか。東秩父の岨道を駆けあがりながら、2万キロをすでに走破していて、160万円で届けられた、もうけっして新しくはないアウディ80の虜となることを、自ら志願してしまった。
ブレーキパッドだけは頻繁にとり替えた。電気系のトラブルにも何回か見舞われた。それでもひどく満足していた。3年目に別れがきた。BMW3シリーズの新しい6気筒ものを購う羽目になったからだ。創刊した自動車誌も軌道にのった。ぼくにしては珍しく、スタッフに3日間の休暇を乞うた。このままアウディ80とすんなり別れるには、思い入れが深くなりすぎていた。
クルマって、つくづく不思議な存在だと思う。ぼくの気配を察してだろうか、しきりとぐずりはじめていた。よし、あんたをどこかへ連れてってあげよう。そうこころに決めた途端にエンジンの噴けが蘇り、軽やかにハミクングするんだものね。 |
あれは4月の初旬だった。桜前線もまだその北国には届いていなかったものの、そこここに春の気配が息づきはじめていた。蕗の薹がもっこりと、名もない河辺で頭を擡げていた。山形から13号線を秋田方向へ上り、雄勝町で右折、仙秋サンラインを目指した。その季節は、まだ雪に閉ざされて鳴子へは抜けられない。それは承知していた。秋の宮温泉郷を通過。と、ぽっかりと山峽をきり拓いて、信じられないほど本格的な造りの温泉ホテルが…‥。稲住温泉だった。だれに教わったのか記憶にない。が、ともかくそこへ孤りで立ち寄りたかった。それでアウディ80との交わりに終止符をうつ。なぜかそうしたかった。
つぎの朝、目覚めると、あたりは白い景色に様変りしていた。帰りは下りのワインディング。雪の道がうねる。別れにふさわしい舞台づくりに、ぼくとあなたは有頂天になったのを、なぜいまごろになって、鮮やかに想い起こしたのだろうか。
新しいアウディ80は大胆にいえば、そのクルマとしての本質を、なにひとつ変えていなかった。もちろんエンジンからサスペンションまで、何回かのモデルチェンジシを経て、当然進化している。しかし、ドアを開き、ドライバーズシートに座ろうとした瞬間に嗅ぎとった匂い、そして懐かしいエンジン音か、10年前の馴れ親しんだ記憶が蘇ってくるのは凄いとおもう。 |
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秩父の町から定峰峠につづく、桜千本とよばれる花のトンネルをくぐり抜けながら、それがアウディのクルマ創りに関わっていることに気づいていた。そしてもうひとつ。かつて助手席からいつも微笑みを送りつづけてくれたそのひとも、モデルチェンジをくり返しながら、きっと見事な女性に磨き上がっているに違いない…‥なんて、すこし未練がましいかな。
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