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永遠の《物差し》
時代の波の動きを、いち早く感知して、それに対応できるような構えを創る。
この点について、もっとも敏感でなければならない職種のなかに、自動車メーカーの開発者と編集者がある。体験的に、そう言い切ってしまうぼく。
たとえば、近年、フラットローのボディデザインにDOHC/4バルブエンジンを、きまってFF車に与えて、つぎつぎとヒット商品を生んでいる日本のあるメーカーの最新作の開発コンセプトは、こんなコピーだ。
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「このクルマは、データや性能ではない、人間の感性を軸にした“性能としての爽快感”を目指し、当社独自の発想と先進の技術力を駆使して、今までにない高いレベルでひとの感性に心地よくフィットする、人間と技術の融合<ヒューマン・フィッティング・テクノロジー>のもとに開発した」
そんな<感じ>で自分の雑誌を創れればいいのだが、それはあくまでも<感じ>の領域に過ぎない。必要なのは時代の波の高さ、押し寄せるスピードが測れる<物差し>ではないだろうか。
確かな<物差し>をもつ。このことの重要性を教えてくれたのは、10年ほど前に『間違いだらけのクルマ選び』という、当時としては画期的なクルマの思想書であった。筆者は黄色ゴルフを徹底的に乗った。乗りながら「大衆車とはこうなくっちゃ」とたしかな<物差し>を贈られた。その<物差し>で、そのころの国産車を計ると、とてもじゃないが、彼の乗れるクルマではなかった。だから爽快に国産車が斬れた。クルマ業界は動転した。ペンネームだった筆者の正体探しまではじまった。
今の時点でこの<事件>を顧みる。と、そこにあるのはゴルフを基調として2BOX大衆車の氾濫であり、クルマ好き世代の書棚を彼の著作群がでんと占めてしまう現実だ。<物差し>にも生命がある。幸い、ゴルフという名の<物差し>は大衆の動きを、つねに的確に察知しながらも、その誇り高い<感性>を技術力で裏付ける営みをやめようとしない。その限りにおいて、つねに至高の<物差し>として機能してくれるはずだし、いつもぼくがゴルフをみつめている理由である.
(1987 GOLF・Something―Extra) |
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