わが闘走 act.35                                             本文へジャンプ
1987 ミラージュCUP熱狂参戦第2年目
■85富士フレッシュマン第1&2戦

 今回は「富士フレッシュマンレース」の<壁>について、マジに考察してみたいのであります。と申しましても、速い連中のマシンがはりつく、あの忌まわしい壁ではなく、能力の限界というか、越すに越せない、あの<壁>なのであります。
第1コーナーがまるでダメ!
 パルサーEXAでP−1600Bに挑戦して2シーズン目。RS中春グループやマジョルカの 稲葉クンなど上位を独占した男たちはもう出場しない。加えて一緒に団子状態で仲よく切磋琢磨していた 甲斐、71番、田中新也クンあたりが、結構いいところに行きだした。稲葉クンのゼッケンIを譲ってもらった手前、そろそろ上位入賞をしてもいいはずだと威勢よく飛び出した第1戦(1月27日)は、3周目にシケイン入り口でブレーキバッドを失い、危うく前車に追突しそうになった。で、右側のグリーンに緊急避難したまではよかったのだが、マシンはヨタヨタとコースに呼び戻され、そこで他車と接触、あえなくリタイアしている。

 2戦連続して自滅したのでは落ち込む。おまけに3月3日の第2戦の予選スタートである午前9時10分には、折悪しく雨と霧がすっぽりFISCOを包んでしまった。もうマシンを壊さないことだけに心を奪われ、ドップから4・5秒遅れの24位。(出走31台)

 それでも第1コーナーとシケインで、ぼくの走りをチェックしていた黒沢元治監督のコメントが元気づけてくれたんや。
「シケインの走りは文句ない。第1コーナーのブレーキング・ポイントをあと30b、いや20bでもいいから奥にとれたら、トップ集団についていけるのに……」
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 そうなんだ。ストレートエンドまで、4速のまま全開で左端いっぱいをキープし、右手、ピットからの流入路を示すパイロンの切れたところを狙って斜走する。残り50bの看板。そこで思い切りよく、アクセルを踏みつけていた右足をブレーキペダルに移し替え、ムギュッという感じで踏み、車速の落ちていくのを体感してからC→B→Aとシフトダウンしてやるんだった。その際にあたり、早めにINに車首をむけてはいけなかった。コーナーの奥までつっこんだところで、素早くステアリングを切りこんてでCPを狙うんだった。

常連と遊んでいてはアカンのや!
反省しよう。ついこないだまで、それができていたのにクラッシュを機に腰がひけてしまったのだ。よし、やったるで!

 決勝のはじまる正午過ぎには雨もあがり、路面はドライ。鉄則どおりにINをキープ、イエローラインぎりぎりに51番、土方クンが競りかけてくる。ここで無理したら第1コーナーでとっちらかりやすい。すんなりと前へ行かせてから背後についた。2周、3周。第1コーナーで51番をパスしてから、ぼくのまわりにはいつもの連中がひしめきあっている。それぞれの走りの癖もわかっている。こうなるとレースは愉しい。コーナーの入り口、出口で攻めたり、ひいたり……。直線ではスリップを使う。
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 実は、それではいけないのではある。それが<壁>なのである。自分より疾い集団についている時には、やはりマシンは限界に近いところでよじれたり、お尻を流したりしているわけで、それに耐えきれる練習量とマシンの完調さが望まれる。<定位置>で愉しんでいるようでは進歩はない。
 結局、21位でフィニッシュ。それでもスタート位置やらを考慮すると、周回単純平均タイムが2分9秒をきったのははじめてのこと。

 次回は、もう6戦も酷使したエンジンをオーバーホールし、初心にかえってレースに臨むつもりである。
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 ああ、第1コーナーであと20b、いや、せめて10b、ブレーキングを我慢しなくてはならぬ。それが壁を克服する唯一の手がかりらしい。楽しみやでエ。                            (85年5月号)