さて、このようにした風早郡のなかで、領地を集めながら勢力を拡大していった正岡氏は、やがて風早郡の外にも勢力を伸ばしていく……それが越智郡です。最初の高縄半島の地図(資料B)をご覧ください。北条市(元)の周辺が風早郡で正岡氏のもともとの出身地ですが、そこからずっと地図の右側に今治市があります。今治市は昔から伊予の国の役所、国府が置かれていたことから、府中と呼ばれる中心都市であって、正岡氏は、この北条のあたりから、山を越えまして府中方面にも勢力を伸ばしていくのですが、それはその後の史料から確認できるわけです。
この地図(高縄半島)の真ん中のところに黒丸の⑤という場所があります。これが正岡の居城であったといわれる「中通城」です。さらにその隣の黒丸の⑥、これがとくに戦国時代、正岡氏の最大の中心となっていた「幸門城」、さらにそこから少し、右下の方に黒丸の⑧がありますが、それが同じく有力な正岡の一族の拠点であった「鷹取城」というお城です。 |
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