祖父重吉の生家・松山市北条河原の田中ちよ美さんと幾度か、その墓所を訪れている。その度に、地蔵堂を上から庇うようにして枝を広げている古い樹が気になってならなかった。
最初は柿の木かと思っていた。が、趣きがいささかちがった。大除城の麓にある槻ノ沢の五輪塔、大野本家墓所の五輪塔を訪れたときに気づいたことだが、そうした祖霊にかかわる場所には、必ず、巨きな樹木が付き物だということに。大野家の場合は樹齢400年をはるかに超える柿の木で、幹には空洞が、いくつもある。 |
 |
|
河原の海辺に近い墓地 チシャの木が目印か |
「馬場柿」と呼び慣らされていたが、当主の啓一氏は、それが気に入らない。だれが墓所の柿の木に馬の手綱を縛り付けるものか、と。加えていう。この柿の渋を武具に塗って補強したそうだ、と。
常竹の雲門寺名物の一つは「南柿」という柿の巨木である。その佇まいによく似ていたので、河原のそれを柿の木だったかな、と連想してみたが、もう一つ、ピッタリこなかった。そこで、植物にも造詣の深い、ふるさと館の竹田館長に電話を入れる。即座に答えが返ってきた。
|
 |
|
久万大除城の麓にある大野氏霊廟にある柿の古木 |
「チシャの木、または柿の木騙しと言って、昔は柳原の代官屋敷に樹齢四百年のものがありましたが、伐ってしまって、いまは河野小学校と鹿島にあるくらいでしょうか。河原にあるとは知りませんでした」
チシャの木か。どんな字を書くのか。「知者」「智者」「痴者」……。そんなふうに、こころの「?」を抱いていると、かならず呼応する資料と出逢うから不思議だ。国会図書館で「河野村史」を取り寄せた。和綴じの郷土史で、景浦勉さんが昭和27年に執筆した郷土史誌のはしりである。 |
 |
|
粟井地区常竹にある雲門寺名物「南柿」 |
|