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| 1983 『47歳の挑戦』にタイトル変更してだんだん本格化 |
―― 3月5日の富士スピードウェイ。フレッシュマン第2戦。車番55のわがベストカーパルサーは、N1600Cグループで出場する。ドライバーは<47歳のフレッシュマン>であるぼく。
というのも、前戦でレース気狂いの国沢を出場させたばっかりに、栄光?の55番・ベストカーパルサーの名を汚してしまったため、ぼくがお詫びのしるしに出場することになったのだ。
「局長、こんどのレースはエントリーが10台だそうです。予選落ちはないから気楽ですね」
どこで聞いてきたのか、国沢が注進してきた。
「そんなことより、マシンは直ったのか?」
「はい。土曜(3月4日)の朝には届いてますよ」
調子よく答える国沢を信用したのがまずかった。
土曜の朝、ぼくのマシンはまだ板金屋さんのガレージで大手術をうけていた。加えて、エントリーは37台。もし、そばに国沢がいたらぶん殴っていただろう。 |
で、当日の朝、マシンとご対面したのはいいが、前夜の雪を被ったままだし、ブレーキを点したところ、フロントのパッドは1周くらいしかもたないほどに擦り切れたままだ。
ともかく車検だけはパスして超特急で日産大森の人たちの手をかりて、ブレーキ・パッドをとりかえた。もうそのころにはたった15分の予選が開始され、コースを回るエンジン音が、ぼくを絶望の淵に追いやる。
シート合わせもそこそこにコースIN。ピットを駆け抜けるときに何度かブレーキングしてナジミをとろうと努力しながら第1コーナーへ。どこのだれがブレーキを調整しないでサーキットを全開で走るものか星野一義だって、即座に家に帰ってしまうだろうに。
コースのIN側を様子を見ながら1周したところで、タイムアタックに入る。
■挽かれものの小唄を聴いてくれ
第1コーナーあたりは路面補修がされていて、前ほどクルマは跳びはねない。右側に見える残り距離の標示看板とパイロンをにらみながら、ぼくにしては思い切りレートブレーキングで1コーナーに入った。横Gに耐えながら、車首をCPに合わせてマシンをコントロールした瞬間、腰から下がゴツンとショックをうけ、ぼくの体はドーンと後方へもっていかれ、その反動で前方へ弾き返された!
シードベルトがこのごろ前へせり出した腹を万力のように締めつける。苦しい! |
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どうやら、シートを固定するツメがはずれたらしい。これではまともに走れるわけがない。ヘアピンの先でグリーンに入れてからシートをセットし直し再スタートしたが、もう残り時間はほとんどない。それでも、速そうなクルマをパスさせて、その背後にはりついたところ、結構はなされずについていくばかりか、直線ではスリップストリームがつかえる。
結局、トラブルから2周目にチェッカーをうけた。ピットの計測では最後の1周は1分57秒03という、ぼくにしては驚異的なタイムを叩き出している。その前の周が1分59秒43、これならいままでのレベルでいけば、軽く予選をパスするはずだ。
ところが――である。30分後に発表された予選順位をみるとどんじりの32位! ガンさんが慰めてくれる。
「ま、正直いって、いままではトップグループと差がありすぎたけど、今回は最終ラップが計測されていれば3秒差、この次はいけるよ」
たった15分のために、ほかのドライバーは充分に準備をしてのぞんでいる。ぶっつけ本番で仲間入りしようなんぞとは、神をおそれぬ所業だ。次回はたっぷりと準時間をかけて、またまた懲りずに挑戦してみるか。
(ベストカー83年5月号)
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