わが闘走 act.49                                本文へジャンプ
1988 Best-Motoringミラージュと改名して熱狂参戦3年目


 今だから、書く。この年の1月15日に、馬齢52を重ねて、身辺は変革の渦のなかにいた。前年の4月末に、新会社を設立、その代表取締役社長であり、VIDEOマガジン『Best‐MOTORing』の編集長も兼ねた。何分にも、新事業に失敗は許されない。講談社の厚い庇護はあるといっても、映像事業はまったくの未知の領域。いくらクルマジャーナリズムでそれなりの地歩を築いたとはいえ、ビデオによる月刊定期刊行は生半可のエネルギーでは、軌道に乗せるのも難しいかろう、と周囲は見ていたようだ。

 音羽通りの光文社、キングレコードのビルと隣り合わせたマンションに、20坪あまりの事務所を設けた。『ベストカー』のあるビルとは700mばかり離れた。

 三推社専務兼編集局長の役割は継続しているものの、新事業の目途がつけば、いずれ籍を抜くことになるかもしれなかった。6月、講談社・野間惟道社長の急死。続く足沢禎吉専務の急逝。この新メディアの必要性を理解し、ぼくのポテンシャルに期待を寄せられたお二人を失って、ぼくは正念場に立たされた。はたして、レース活動に精力を傾け続けていいものだろうか。
 創刊号は6万8000部を発行して、80%の実売。物珍しさも手伝って、ひとまず滑りだしは成功した。が、2号以降、ズルズルと低落。6号目には発行、3万をやっと保っているに過ぎなかった。『ベストカー』を単純に映像版にしただけでは、通用しない。独自の路線を創り出す必要があった。ますます新会社に籠る日々が続く。となると、『ベストカー』とは一線を画し、いざという時に手を籍せばいい。肚が決まった。
 
 ミラージュ参戦は続ける。映像にレース活動は不可欠だ。企画のひとつの柱であるドライビング・テクニックはレース活動で磨かれるし、人脈もそこに集約されていた。が、もう『ベストカーミラージュ』というわけにはいかぬ。新しくカラーリングも替え、『ベストモータリングミラージュ』とした。パステルカラーのブルーとイエローばボディを波打ち、洒落た出来映え。いかにも映像向きだった。


 この新事業への胎動は、ぼくのサーキット挑戦にあった。松田昭広青年が回してくれた8ミリビデオをガンさん宅に持ち込み、ドライビング指南を乞ううち、映像のもつ訴求力の虜になった。これからの自動車メディアは映像だ! これが率直な原点だった。
 スタートすれば、すべてを巻き込むしかない。ガンさんはいま、わが『ベストモータリング』の看板キャスターのひとり。注目の55田部靖彦は『ホットバージョン』編集長。ご贔屓、小林里江もわが社の経理部主任。松田昭広青年は制作部長。中谷明彦、土屋圭市の両君もメインキャスターとして深く巨きな存在である。桂伸一君も忘れてはいけないし、実は『ベストカー』の「熱走報告」担当者こそ先年まで『ベストモータリング』編集長としてぼくを後継していたた山本亨である。(註・役職名は2000年当時)

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