| 1981年。HONDAが鈴鹿を舞台にシビックのワンメイクレースをはじめるにあたって、協力の依頼があった。そのころ、五木寛之さんに「ベストカー」で連載小説をお願いしていたし、ご本人も大変なクルマ通。くわえて、鈴鹿耐久8時間に通いはじめた時期でもあった。そこで黒沢元治さんをドライバーに参戦するプロジェクトが結成された。総監督・五木寛之、監督・徳大寺有恒、チーフメカがレーシングデザイナーとして高名な小野さん。そしてデザインを童夢の林ミノルさんが受け持った。初戦2位。ベストデザイン賞獲得。そんな経緯から、林さんに「銀座で一杯」という約束で、われらがパルサーのデザインをお願いしたわけだが、銀座でご馳走する約束を果たしたかどうか、記憶が定かではない。 |
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| 「五木レーシングチーム」の顔ぶれ 鈴鹿のピットにて |
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