わが闘走 1986 act.25                           本文へジャンプ
1986 ミラージュCUP熱狂参戦の50歳
■プレス対抗ミラージュタイムトライアル(3月6日)

3位ゲットで「新設フレッシュマン」シリーズへ

 85年度のツーリングカー・レースには2つの新風が吹き込まれた。グループAとシリーズ上位5名がマカオGPに招待されたミラージュカップがそれ。
 さて86年度は――。ミラージュカップは新たにフレッシュマンシリーズを加えて、2つのシリーズ戦を組むというのだ。舞台はこれまでの筑波と富士に西日本と西仙台のサーキットが加わって、さらに全日本的なイベントとなったわけだ。もちろんマカオGPに招待されるのは、ミラージュカ
ップシリーズの方で、フレッシュマンは対象外である これがミラージュターボ 速かった!

そんなことが背景にあって、3月6日、快晴の富士SWでプレス対抗のミラージュカップタイムトライアルコンペが開かれた。10台のイコールコンディションのミラージュが用意された。各チームからA級ライセンスをもつ2名が選抜され、各8周のうちベストタイムの6周分を合計し、順位を決めようという仕組みだ。

 ある日の夕方、ザンゲ男の林(竜也)がスルスルとぼくの傍らへきて、「局長、FISCOで勝負しましょう」
 と、つまり挑戦状を叩きつけてきたと思いたまえ。それも輸出仕様のエンジン搭載のミラージュターボだぜ。
「いい度胸してるじゃねえか。ハンディは2秒やるから、おれから1万円せしめてみろよ」
 自信たっぷりにぼくが答えたのがいけなかっった。当日の早朝、約束の場所に林は現れない。待つこと1時間、しびれを切らしたぼくは、そのままFISCOへ。林が逃げ出してくれたお蔭で、与えられた練習時間をたっぷりと、単独でミラージュとなじみ合った。

午前11時、第1走者のタイムトライアル開始。その時になっても林は姿を見せない。特に他チームの了解を得て、ぼくひとりが2回走らせて貰うこととした。ま、ぼくがバカッぱやの黒沢元治さんのようだったら、誰も賛成しなかったろうが、50歳のオジさんが何度走ろうと大勢には影響なしと見たのだろう。
 10秒おきに旗が振られ、順番に第1コーナーへ向かう。
 ぼくは7番めにスタート。10秒も間をあけると、先行車とは停車からのスタートでも200b以上は離れるものだ。 ぼくが第2コーナーを降りる頃には先行車はは速く早くも100Rに突入しているといった具合だ。スリップもなにも使えたものじゃない。
ピットから1分57秒台のサインがきた。4周めには56秒台、そして6周めに55秒台。こんなに速いタイムで、ぼくはFISCOを駆け抜けた経験はない。そう、レビン/トレノの中団グループがこのあたりのタイムではしっている。となると、ミラージュターボ、結構いけるぜ。
「5速はバキューム式だからゆっくりシフトアップしてくださいよ」
 ラリーアートのメカ氏に注意されていたのだが、最終周、セイコータワーあたりで先行車を捉えたので、心逸って電光石火のシフトアップ。と、回転針はビイーンと跳ね上がりえらい騒ぎだ。あわてて、4速に入れ直す大ミスで、この周、ついに54秒台はマークできなかった。 
 さて周囲のデータを集めてみると、中谷明彦クン(マカオGPのチャンプ)の53秒台は別として、CGの熊倉、オートファションの鈴木俊治の両氏が54秒台を出したにすぎないらしい。これはいけるぞ。が、2度めのトライアルはすこし草臥れたのか56秒台の連続。で、表彰式。なんと優勝はCGチームにさらわれたものの、プレイボーイ/ルボラン混合軍についで3位。オートテクニックやオートスポーツチームに勝ってしまったのだから、やはりこれは春の椿事かな? 気がついたら、まだ林は顔をみせない。そのころ、まだ自宅で眠っていたという。 ぼくと勝負することへの恐怖と不安て緊張のあまり、不眠症にかかり、やっと朝になって眠りにおちたのだろう。
はいチェッカー! 見事に合格して出場決定!
 この結果、ラリーアート首脳のお眼鏡にかなったのだろう、ぼくのミラージュカップ/フレッシュマン戦(4月6日)の出場が決定した。これはえらいことだぜ。

【後註】この項に登場の林竜也クンは、その後、いったんベストカーを離れ、パソコン雑誌で修業したのち、2&4モータリング社に入り、現在は「ベストモータリング」の編集次長。

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