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1985 F1前座有名人レースに招待出場 49歳新人の「晴れ舞台」
■F1オーストラリアGP inアデレード(11月1〜3日)

 5年におよぶ「フレッシュマン」挑戦は、だんだんと業界でも話題となったらしい。お立ち台にあがったら、銀座に招待するよ、といってくれたのは渡辺靖彰ダンナ(ああ、この人も、つい先ごろ黄泉の国に旅立ってしまった)。と、とんでもなくビッグなご褒美がやってきた。三菱広報の中村クニさんが「オーストラリアのアデレードに行かないか」と声をかけてくれた。なんでも三菱がF1の冠スポンサーになって、前座レースとして「コルデイア」による有名人ワンメ−クレースをやるから、是非エントリーしてほしいというのだ。夢のような話とは、このことだ。聞けば、ジャック・プラバム、バ−ン・シユパンといった世界的な名ドライバーが出るとか。うーん、気が遠くなるほど、嬉しいご招待じゃないか。

南オーストラリア州政府から届いた豪華な招待状
【レポート/赤井邦彦】        
 浅間重輝さんの隣の席で、正岡編集局長は、盛んに衣装のことを気にしていたようだった。
「アンダーウェアは不要でしょうね」
「暑いからTシャツでいいでしょう」
「でもマスクはつけたほうが……」
「ほくはフル・フェイスだから、つけないでおこうと思ってますがね」
「やっぱりぼくはつけます。気分が引き締まりますから」

 ぼくは2人から2列ほど前の席で、うとうとしていた。
 2人の会話がとぎれがちに聞こえてくる。実はぼくらは、今JAL機でオーストラリアに向かっている。アデレイド市で開催される三菱オーストラリアGPの取材が目的だが、2人は前座の三菱コルデイア・レースに、日本人代表として出場する。衣装の話というのは、その時のレーシング・スーツの話である。

 浅岡さんは現在自動車評輪家として活躍中だが、元はいすゞ自動車のワークス・ドライバー。レースはお手の物である。一方の局長は「45歳からレースを始めた」アマチュアだ。
「若いうちから始めてればもっといけたはずだ」と思うのだが、そんな泣き言はいわない。45歳からの4年間、黙々と富士SWに通い、フレッシュマン・レースのパルサーやEXAレースで、満身創痍の練習を積んできた。まさか同じレースに出てくるライバルは、局長のことを親父に近い年配だとは思わないだろうし、自動車専門誌の編集局長だなどとは、気がつかなかったはずである。

《正岡MEMO》)
 1枚の豪華な招待状が、南オーストラリア州政府から届いた。三菱自工が冠スポンサーとなったFl最終戦に参加されたし、というのだ。もちろん前座戦に。世界地地図を東京から真っ直ぐ南下すると、アデレードに着く。空路10時間余。そこはもう夏。街はお祭り騒ぎ。

ペアを組んだS・マーチン(上) 
同行の朝岡シゲさんとライバルたち


  アデレード市街に特設されたGPコースは、他の市街地サーキットと比べて出色である。GPドライバーたちが太鼓判を押したコース、コルデイア・レースのドライバー諸氏にも、受けはよかった。ただし路面が少し滑りやすい。

 実は局長一行は、市街地コースを走る前(11月1日)に、アデレード国際レース場なる小さなサーキットで<ルーキー・テスト>を受けてきたそうである。
「そこで何年も走ってるという奴が1分11秒ぐらいなんだけど、浅岡さんは3、4周目にもう12秒台なんだよ。ぼくも14〜15秒台。2人はもう走らんでもよろしいということになって、ルーキー・テストは合格だった」と、破顔一笑。

プロとアマが組んで市街地コースをそれぞれ5周
 翌11月2日、いよいよ予選(公式棟習)が行われる。当日の朝、局長の顔はどうしても緊張しがちである。宿舎のジャスパー・モーターインを出る頃から、私は局長たちと行動を別にした。彼らはレーシング・ドライバーである。私はジャーナリストだ。一線を画して、公私の公の付き合いにしよう。ジャーナリストの心ない一言が、スポーツマンの士気を削ぐということはよくあることだ。
 三菱コルディア・レースは、<セレブリティ>レースという名称になっている。 CelebriIyと綴って名士と訳す。町の名士もいれば、世界の名士、歴史上の名士も顔を揃える。

グランドスタンド前のストレートを往く
 出場台数は16台。ずべて同一仕様のコルディア・夕ーボである。4WDではない。
「FFは慣れているから、なんとか走れると思う」と、局長はレーシング・ドライバーの意見としていう。私はジャーナリストとして書き留める。
 16台のクルマに32人が乗る。プロ(あるいは元プロ)が16人、アマチュアが16人。プロとアマが組んで、2人の成績で総合順位が決まるシステムだ。プロの中にはJ・ブラバム、D・フルムという往年のGPスターやL・ゲーガン、K・パートレット、X・シュパンといった日本人に馴染みの名前がズラリと並
ぶ。浅岡さんも当然プロである。

シケインは真っ直ぐに抜ける。拍手!
 一方のアマチュア・グループは、ロス・オリンピック5種競技のスターのG・ナン嬢、同重量挙げメダリストのD・ルーキン、同自転車金メダリストのM・夕ーナー、TVキャスターのA・フルウッド嬢など多彩な顔触れ。局長も、このアマ・グループで出場する。

 予選はアマチュアだけだが、15分間ほど、コースを走る。プロは前日すでに試走済み。浅岡さんはTカーでの予選だった。この走行中に、局長は前車のスピンに巻き込まれ、コルデイアの右前部フェンダーを凹ませた。
「いやあ、凄いコースだ。観客の反応も凄い」
  局長はコルディアから降りてきてこういった。視点が違うな、と私は思った。「第1コーナーのS字はコース外を実っ直ぐに突っ切るんですね」と私が尋ねたら、「そのほうが観客が喜ぶんだんだよね」と答える。「スピンするようにコースアウトしたときにも、とにかく客が沸くんだよね」

 もちろん1周3・78kmのコースの「あのコーナーはこうだ。このコーナーはどうだ」と、正岡レーシング・ドライバーは説明してくれるのだが、それは私には興味の対象にはならない。それより、走りながら観客の反応を感しるレーシング・ドライバーのほうが、よほど興味深い。        
 予選日にしてこうである。決勝日には一体どうなるのか。

《正岡MEMO》
FIマシンとのタイム差はちょうど1分。決勝はTV中継されたけど、当然、走ってるぼくは見ていない!

そのスタートはまるで中嶋悟のように……
 コルディア・レースは、FIGPの前に行われた。まずアマチュアが走る。マスクをつけたジェット型のヘルメットをかぶった局長は、歴戦の勇士の顔になっている。パドックから出るときのステアリング操作は、衆目の中で確実だった。ところが、局長はスタートに失敗するのである。まるで中嶋悟がそうするように、局長も失敗するのだ。
《正岡MEMO》
 1周のウォーミング・ランのあと、スターティング・グリッドにつき、スタートの青旗が降り下ろされる瞬間をぼくは待った。神経を研ぎ澄ませて……。と、赤ランプが点く。あれっ? なにかあったのかな。ぽくはシフトをニュートラルに戻した。突然、ランプが青に変わった! ド、ドッと周りが走り出す。あっと気付いて@にいれたが、もう後の祭り。フレッシュマン・ドライバーの悲しさ。ランプでスター卜するのを旗で指示されるものと緒覚していたのだ。これが恥ずかしい失敗の因である。
 
 しかし、その後の追い上げは鬼神の走りだった。第1コーナーのS字ほ当然局長にすれば直線である。曲がったことの嫌いな性格である。


 局長はこのレースで、一瞬にして3、4台を抜き去る(というような生ぬるい表現ではなく、プチ抜くという表現のほうが適当なのだが)ガッツを見せて、10位でゴールした。

 スタートで出遅れて15番手で第1コーナーを通過したことをかんがえれば、天ッ晴れの成績である。因みにレース中のベストタイムでは5番手なのだから。
「いやぁ、F1ドライバーと同じコースを全力で疾駆する心地よさは、見てる分には分からないだろうね。幸せな体験だよ」
 局長と組んだスペンサー・マーチンは7位。最終的には総合6位の成績でレースを終えた。浅岡さんの組は総合3位。 Flスターと同じ表彰台にたった。

「ぼくも表彰台に立ちたかったね。しかし走れただけで満足としようウォーストラリアの人々の歓声や拍手は、うれしかった」
 正岡レーシング・ドライバーは、汗の染み込んだスーツを脱ぎながら、満足気に笑うのだった。ああ、私も走りたかった。
〈正岡MEMO〉
 鈴鹿耐久8時間の、選手と観客、そして主催者とのあの連帯感もいいけど、このオーストラリアFlの〔お祭り〕には感動した。お前は走ってきたからさ、といわれればそれまでだが、緑に囲まれた市街地サーキットを、選手も観客も、そしてオフィシャルまでも、最高のマシンの競演を真剣に愉しんでいた。
 それでいて、11万人と発表された観客は、レースで思い切り興奮したあと、見事に何の混乱もなく消えていった。
 それは何だろう。お蔭でレース終了後、ぼくらはすんなりホテルまで帰れた。鈴鹿や富士では考えられないことだ。この祭りを支援した三菱さん。来年も自信をもっておやりなさい。

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