わが闘走 act.16           ■ 本文へジャンプ
1984 48歳の熱走報告番外      ONLY=ONE作品集
風に吹き消された英雄・高橋徹23歳  《ベストカー1984年1月号掲載》
わが闘走」の1984年の項に、この作品を挿むこととしたのは、たしかにレースにのめり込んだのは確かだが、サーキットという「生きた現場」には、編集者として、それだけの「宝石」が、無尽蔵に埋め込まれていたのを伝えたいからである。「修羅場に生きよ!」これが鉄則だと気づかされた時代の、たいへん愛着のある作品。ぜひ一読されたし。
■祭りの夜の打ち上げ花火のように鮮やかな
光と色を残して……

もしも──あの富士スピードウェイ最終コーナーの不運な惨劇さえなかったなら、高橋徹・23歳は、84年ルマン24時間耐久レースのドライバーとして、ミュルサンヌの長いストレートを晴れやかに駆け抜けていたかもしれない。

 その可能性はひどく濃かった。そのことを、本人は知る暇もなく、祭りの夜の打ち上げ花火のように、鮮やかな光と色で周囲を楽しませながら、あっさりと消えていってしまった。
「ご存じのように、東洋工業はルマンに挑戦しています。83年は完走してクラス優勝もした。いまは片山・従野・寺田といったベテランドライバーが中心ですが、それに、若くって可能性のある高橋徹を加えてはどうか、という狙いでした。天性のドライブテクニックは、この1年で磨きがかかってきたし、あの甘いマスク、スターになる要素は充分ですよ。それになによりも、彼は広島の出身。力の入れ甲斐もある。で、社内で意見もまとまり、提示する条件面もふくめて交渉を開始しようかなという時に……気の毒な事故でした」
 徹クンの死を悼みながら、東洋工業広報室・島崎文治主任(当時)は意外な事実を明かしてくれた。

クリックして拡大
 10年前の石油危機以降、自動車メーカーのモータースポーツへのかかわりは、消極的の一語につきた。が、ここへきて間違いなく「雪解け」しはじめている。なかでもホンダに続いて東洋工業が本格的に取り組もうとしている。その一環が「高橋徹獲得作戦」だったわけである。トヨタも日産も、エンジン供給はしてもドライバーにまで目をむけてはいない。それだけに東洋工業の動きには新しさがあった。
 ■風の章/走って勝ってナンボの世界です
 本人は知る暇もなく、と前に書いた。厳密にいえば、高橋徹はぼんやりと予感していた。それは、鈴鹿耐久8時間オートバイレースのあった翌日、真夏の昼下がりであった。
サーキットの外で初めて高橋徹と会った。ハヤシレーシングの事務所で待ち合わせ、鈴鹿サーキットのレストラン「プラタナス」で昼食をとることにした。この夏はウインドサーフィンで足腰を鍛えているという。だから、真っ黒に陽焼けしていた。
 ズバリ、訊く。
「収入は?」
「F2の賞金の20パーセントだけです」
「契約金なし?」
「はい。ステップアップして、名門のヒーローズレーシングで走らせてもらえるだけでハッピーです。勝ってなンぼ、すっきりしてて、ええですわ」
 白い歯をみせる。なんと爽やかな雰囲気をもった、あどけない青年だろう。
 すばやく計算してみた。F2にデビューして以来の戦績は、3月の鈴鹿2&4が2位で250万円、富士GC第1戦が6位で65万円、4月の富士F2は途中リタイア、5月になって、GC第2戦はリタイア、西日本F2が6位で60万円、そして29日の鈴鹿JPSは3位入賞で150万円、7月は鈴鹿ゴールデントロフィーでリタイア.となると獲得賞金総額は524万円で本人の手取りは105万円にすぎないじゃないか。
「5ヶ月間で100万円ちょっとか? レーシングドライバーって見た目は華やかだけどゼニにならない商売だね」
 うなずきながら、高橋徹は薄く笑った。それでも、広島の工業高校を卒業しないままレーサーを志し、親から買ってもらった鴻ノ池スピードのFLマシンを鈴鹿にもちこんだ3年の苦しさにくらべると、いまの環境は夢のようだという。

 アルバイトの連続だった。街頭にならぶコカコーラなどの、自動販売機に缶を入れ替える仕事のかたわら、新人登竜門である鈴鹿シルバーカップに挑む。FL550部門チャンプとなった。同じアルバイトをするならウチに来いよ、とハヤシレーシングが誘ってくれた。
「FL550をハヤシ712で走れるようになったうえに、FJ1600をハヤシ410Jの開発テストもかねて走らせてもらったんです。成績はソコソコやったけど、次の年にF3にステップアップできました。懐ろはいつもピーピーですわ。こないだも電話代が落とせんいうて、銀行から怒られました」
「走らないときは、アルバイトすればいいじゃないか?」
「いや、監督(注・田中弘氏)に怒られます。F2ドライバーはどんなに苦しくても、それだけに賭けろいうて。それにタイヤテストなんかで結構、忙しいことはいそがしいんです」
 そんな雑談を交わしているとき、ふと、東洋工業関係者が高橋徹に強い関心を示しはじめたことに思いがいたった。
「実際に決まるまでには、いろいろ障害があるかもしれないが、もし東洋工業がワークスドライバーとして誘ってくれたら、どうする?」
「えっ! 東洋工業ですか? トヨタか日産が来てくれませんかね」
 そのときだけは、ふてぶてしい素顔をみせた。その夜、鈴鹿のカラオケ・スナックで、高橋徹の友人を交えて飲むことになった。アルコールはほとんどやらない。それでいて、元気よくマイクを握った。よく透るやさしい声で、渡辺徹のヒットナンバー「約束」を歌ったあとで、本音をチラリ。
「ぼく、ファミリアに乗ってます。ええ脚をしたクルマです。東洋工業の人、いつ会いに来てくれるんやろ」
■萌える章/底辺の若者がF2を乗りこなした!
 高橋徹ほど、強運を背負ったレーサーはいない、とレース関係者は信じていた。82年末のF2ストーブリーグは例年になく派手な火の手をあげた。中嶋悟をうしなったT&Tの生沢徹はNo,2ドライバーに高橋徹をもってくるつもりだった。
「オーディションをやっても断然光ってたものね。どこがいいっていうより、ステアリングを握ったときのフィーリング、あれはタダモノじゃなかった」
 と、今でも生沢徹は、高橋徹を思い出しては目を細める。
「ウチに任しといてくれれば、もっとじっくり育てたのに」
 しかし、高橋徹はヒーローズレーシングの田中弘監督に身柄を預けた。ところがヒーローズのエース星野一義が独立を宣言してしまった。
「あのときはあわてた。でも割り切って1年間我慢してこの新人を育てるしかない」
 と、田中監督は腹をくくった。ところがその新人が公開練習でベストタイムを叩き出し、予選でも4番手の位置を握った。

 3月13日の鈴鹿F2第1戦は朝から雨、コースのいたるところに水溜まりと川をつくっていた。レースは30周から24周に短縮されたとはいえ、ルーキーには厳しすぎる条件だった。      
 高橋徹のユニベックス・マーチ832が水煙で全く前方の見えない第1コーナーへ突進。1周目は6位で帰ってきた。9周目、4位。12周目にリースをとらえ3位に浮上、なんと前を行くのはヒーローズの先輩、中嶋と星野である。その日本を代表する二人のレーサーのラインを盗める最大の機会がやってきたのだ。そして21周目、大波乱が起きた。2番手の星野の右リアタイヤからエアが漏れ、極端にスピードが落ちはじめたではないか。最終ラップ、ヘアピンで徹は星野をパスした。
「運も実力のうち。徹はポテンシャルがある。あとは本人の努力次第さ」(田中弘監督)
「こら、えらいこっちゃ。モータースポーツの底辺からF2をこなせる若いドライバーが生まれたわけやから」(ハヤシレーシング林将一オーナー)
 これだけのことをやってのけた高橋徹に「十年にひとり出るか出ないかの逸材だ!」といった賛辞が寄せられたのも自然のなりゆきだったかもしれない。そんな中で、ぼくの知る限りでは黒沢元治だけは、厳しい目をむけていた。

クリックして拡大
 
「レースはそんなに甘いもんじゃない。たしかにエジェ・エルグ(3位)に追い上げられてもミスをおかさなかったのはたいしたものだが、1レースだけでは判斬できない。これから夏場にむかって体力を消粍するときに最後までコンスタントなタイムで持続できるかどうか。コックピットの中の暑さは殺人的だ。それとコーナーで徹は首を曲げすぎる。あれは横Gに耐えるだけの鍛練ができていない証拠。本人のために、周囲がチヤホヤせず、厳しく育てれば素晴らしいレーサーになると思うよ。クラッシュしたり、スピンしたりしながら、彼が何を掴むか、だ」

■誘惑の章/群がるサーキットGAL.クラッシュ、リタイア。

 5月の鈴鹿JPSレースは、高橋徹の話題でもちきりであった。公式予選でコースレコードを叩き出したからだ。1分56秒46。そのころ絶好調の松本恵二はうめいた。
「予選用タイヤで57秒10。こらいけると思うたら、トオルが簡単に同じタイヤで56秒や。まいったネ。本番ではコーナーを深く突っ込んでからブレーキングでブロックしてやる
か!」
 これほどベテラン勢の心肝を寒からしめたヤングタイガーがほかにいただろうか。中嶋悟にしても、決勝レースで徹を背後から脅かしたものの、シケインで接近しすぎ、カウルを飛ばしてしまう始末。
 が、夏場に入ると徹の勢いがとまった。7月のゴールデントロフィーはスプーンでクラッシュ。ピットにたどりついたときには完全な脱水状態に陥っていた。
「まるでマラソンを完走してきたときのように、心臓はドキドキするし、やっぱり体力を鍛えなければ……」
 徹は謙虚だった。が、このころから、女性間題もチラホラしはじめた。
 久しぶりに現われた<若々しいタイガー>に鈴鹿のレースクィーンたちはもとより、いろんなタイプの女性が徹の周辺を賑わしていたのは事実だ。

 こんな話もあった。東京の私立大三年生、岸本加世子と斉藤ゆう子を足して2で割ったような活発なお嬢さんの告白。「JPSの表彰パーティの席だったかしら、トオルから小さな紙切れを渡されたのよ。白子のアパートの電話番号が書いてあったわ」
 何度かのデート。が、徹が四日市の女子高生とつき合っているのが露見して、一時は完全に冷たい仲に――。
「あれほど積極的にいろんな女性に求愛されるとまいるよね。トオルは根がやさしいものだから、一つ一つ誠実にこたえようとした。で、いろいろもめて」
 徹の相談役として、いつも行動をともにした伊麻章裕(ハヤシレーシング・設計担当)は、むしろサーキットギャルたちの異常なフィーバーぶりに顔を顰める。大藪春彦の『汚れた英雄』の主人公・北野晶夫なら、大物女性だけをクールに狙い撃ちして自らを大きくしていったけど、現実のヒーローはその程度にあどけなかった。

■別れの章/pml・30、星野を追ってキミは疾駆した

 10月23日がきた。富士スピードウェイ、GCの最終戦である。来年の契約もある。徹がここで一発勝負を狙うかもしれぬ。そんな予感がした。が、FISCOは徹にとってあまりゲンのいいサーキットとはいえなかった。GCは第1戦で6位に入賞しただけで、あとの2戦は完走できないでいる。予選5位。スタート前のセレモニーに入る直前、徹との短い最後の会話。
「どう? 走りこんでるかい?」
「シーズン中はなかなかそうもいかなくって。考えてみると、シーズン前に6回も自主トレで走りこめたのがよかったし、ワークス用のBMWエンジンもよく回ってた……でも、ここへきていい調子ですよ」
「そう。こんどの鈴鹿グランプリのとき、またメシでも」
「はい。たのしみにしています」
「タイヤは?」
「ソフトでいきます」
 じゃあ、と軽く右手をあげて微笑した徹。とくに気負いもなく、いつもどおりだった。

 午後1時30分、スタート。コントロールタワーの下でスタートを見てから、ヘアピンを見届けるべく、駆け足でパドックを横切る。
 星野がトップできた。その背後に白いマシン、徹だ!
 そして2周目、再びヘアピンで星野に追いすがる徹。星野の序盤でのもの凄いハイペースな走りは定評のあるところだ。
 徹よ、ムキになっちゃいけない。星野は完走を計算してハードのタイヤを選んでいる。ソフトのきみの方がグリップはいい。それを錯覚して今日はいける、と思ったら大間違いだぞ。
 後続集団はグーンと遅れている。さあ、3周目のヘアピンまでどう来るか?
 と、そのときだ。ピットの様子が異常だ。総立ちで最終コーナーあたりを凝視している。異変がおこったらしい。一瞬のうちにGCマシンの轟音が、ストレートを駆け抜ける。だれがやったのか。
 ヘアピンには、まず星野がきた。続いて高橋国光の赤と黒のマシン。徹がいない!
 赤旗が出た。レース中断だ。マーシャルカー、救急車、レッカー車が禍々しいサイレンを鳴らしながら最終コーナーへむかった。ぼくも駆けた。バドックの金網フェンスに沿って。

 行き止まりは救急室だった。遠くから救急車のサイレンが近づく。ふらりと幽鬼のように降り立ったのは、レーシングスーツ姿の中子修だった。
「あ、高橋徹は無事なのか」
 一瞬の安堵。が、次に担架がかつぎこまれた。耐火マスクをつけたその下の顔は、紛れもなく、高橋徹のものだった。
 苦痛に耐えながら、歯をくいしばり、目を閉じている――ぼくにはそうとしか見えなかった。何かの拍子に、ピクンと下半身が跳ねた。
 ほんとうにきみが強運の持ち主なら、そう、同じ場所で翔んでいる松本恵二のように、不死身でなければならない。ほら、そこできみを病院へ運ぶべく、ヘリコプターが待機しているじゃないか。

■鎮魂の章/キミのコース記録が鈴鹿から消えた朝

 20分が経った。その間、ぼくはひたすら待った。黒いスーツの女性が担ぎこまれたとき、彼女の白い目を見て、これは駄目だと直感した。付添いのボーイフレンドらしい青年の号泣する声が外まで洩れてくる。かれらは観客席にいて受難したらしい。そこまで、徹のマシンは翔んでいったのか。
 やがて、救急隊負のひとりが出てくるなり、ヘリコプターにむかって、両手を交差するサインを送った。
その瞬間、いつでも飛び立てるように回り続けていた羽根がピタリと止まった。
 一つの死を知った。なにものにも換えがたい、若くてでっかい星が消えた。
 やがて、レースはなにごともなかったかのように、再開された。日没は近かった。

 11月6日、鈴鹿サーキット・F2の最終戦――JAF鈴鹿グランプリ決勝レースがはじまろうとしていた。
 高橋徹の5歳上の実兄・邦雄と話しこんでいた。
「あいつをレースに惹きこんだのはぼくですよ。免許のとれたその日に、ぼくのスカGXを譲ってやった。それも2・4リットルにポアアップしたノンスリップデフつきのシャコタンや。ところが徹はその日のうちにフェンスに貼りついた。そんなやつがみるみるうちにうまくなって、F2にまで乗って、あっという間に遠いところへ逝ったんですよね。葬式には、星野、松本、中嶋さんもお越しいただいたし、盛大でした。彼の故郷の西条ですか? 広島駅から大阪方面に戻る感じで、賀茂鶴と造園が名物、水の美味しい町ですよ」
徹のすぐ上の兄・邦雄さんと話しこむ
  その日の朝まで、鈴鹿サーキットのVIP室の壁には、コースレコードを表彰する高橋徹のカラー写真と記録板が飾られてあったが、中嶋悟のものにとり替えられてしまった。
「そうですか。寂しいですね」
 邦雄はポツリといった。
「これから徹のアパートに寄ってから、あいつのシルバーメタのファミリアを受取り、広島まで運びますわ。だれか大事にしてくれる人がいたら、譲ってもいいなあ。あいつ、すごく綺麗好きだったから」
 ぽっかりの穴のあいた鈴鹿の秋。サーキットを吹き抜ける風に、冬が近づいたことを告げる冷たさが加わっていた。風が吹き消していった代償の大きさに気づくのは、これからだろう。

§このあと、萩原光、アイルトン・セナと巨きな星が消えていった。

NEXT