わが闘走 act.10              ■ 本文へジャンプ
1984 48歳の熱走報告
■富士フレッシュマンレース第1戦

 えー、相も変わりませず、ドジな「富士フレッシュマンレース」の一席で、ご機嫌をうかがわせていただきやす。
 かの超高名な作家の先生、五木寛之さんが、励ますでもなく笑うでもなく、こうおっしゃったことがありやす。
「正岡さんの競走番号は55でしたね。どうです、その番号に因んで55歳までフレッシュマンに挑戦したら?」
 結構でやんすね。もし、やり遂げたら、ご馳走でも?
「もち、さ。なんだったら、TV番組でドキュメントに……」
 ぎえッ。T、TV番組に! それやったら頑張らねば。2月14日には全国のサーキットGALからドカッとチョコが佐川急便で送られて来るやろな。

 そげぇな(ぼく、九州出身)とっぽい夢はあっちに置いて、1月29日の第1戦に臨んだわけでやんす。
 
 ゼッケンも、応援のガンさんたちに遠くのピットまで歩いてもらうのはしのびないので、予選では近いピットが貰えるEに変更。ああ、汚辱にまみれた55番は一度として栄光を浴びることもなくFISCOから消えたのであります。

 パドックに整列したときの仲間たちの反応がおかしい。
 たとえば、Fの神山秀之君。
「あれッ、局長、おれより前を行こうっていうの?」
 
 なにをいうか。このFはいつもわたくしめの前後をチョロチョロ走ることで有名なのでありまして、そのココロは、55にくっついて走っていれば、確実にBCGに写真がのって、スポンサーに顔が立つというさもしい計算なのでありやんす。
 そうはわかっていましても、こちらにしては嬉しい存在で、こいつより前にいれば調子がよいとわかるわけでして、この日の決勝におきまして、わたくしの5秒遅れでゴールインしてくれた謙虚な男でありました。

真ん中が後にCG編集長になった阪和明さん

走行路以外は雪、雪!拡大してご覧あれ

 ともかく、この日の富士スピードウェイは走行路以外は雪、雪、雪。ちょいとでもコースからはみ出そうものなら、即、サヨナラでやんす。加えまして、300Rにシケインが新設されて(いまではダンロップコーナーあるいはBコーナーと呼んでいる)おりまして、どのドライバーも10秒落ちのタイムなのです。
「シケインのコツはネ、右へ折れるところで充分にクルマ(の車速)を殺し、左へ折れたCPから全開で出てくること。すると、シケインを出てからの登り坂で差がでるはず」
これ、ガンさんのアドバイス。

タイム認定証 クリックして拡大

 さて、スタート。もう逆噴射の時代は終わった。わたくしめスルスルと2台ばかりをパスして、第1コーナーへ。43番がブロックする。仕方なく、INへ逃げている間に、ドドッとOUTから3台が前へ行く。
 まあ、それからはH、45、29、Fの5台と団子レース。みんな20歳代の血気さかんな若者や。ムリして、100Rでフラフラ、ヘアピンで横をむく、ついにはシケインの入り口でFが飛び出して、大きく遅れよった。

 無事、10周を終えて、各コーナーのオフィシャルの拍手に片手でこたえてパドックへ。みんなが寒さにガチガチふるえているというのに、わたくしめだけは体中に「どんと」をはりつけたように、あっちィ、あっちィで汗を流す爽快さ。
 さて、結果をいわなあかんやろか? 17位や。どこで16台にも抜かれたんやろなあ。

 えー、最後になりやしたが、このたび鈴鹿F2戦の前座レースとして、シティターボUレースが新設され、ベストカー・レーシングチームはFUJIカセットGT−1のスポンサードを得て、出場いたしやす。なにぶんにも新しいレースなので、リーダー役がいる。それをガンさんにお願いしました。 どげぇな(どうです)、鈴鹿へ逢いに来んしゃいよ。
                          (ベストカー/84年4月号)

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