| 伊予市郡中町は正岡寛忠さんが生まれ育った町である。というよりは、幸門城落城後、久万に帰農した正岡経政の末裔たちのうち、寛忠さんが血をひく正岡七郎右衛門経賢が、父・源五右衛門常喜から別家し新天地を求めて移住したのが、この町であった。松山市の中心から、伊予電鉄で一本に結ばれていることから判るように、松山の一部という感覚だ。にもかかわらず、この町は江戸時代には大洲藩領であった。堺のような一種の独立商業地として賑わったという。なにやら、明治・大正期に勃興した筑豊炭田か、工業地帯として急激に発展した八幡に職と商いを求めて人が吸い寄せられたのと相似している。さて、初めての郡中の町を行こう。寛忠さんは案内上手だった。 |

郡中きっての造り酒屋であった「旧岡井邸」は「海とロマンの町」の観光シンボルとなっている |