やっと狙いが上浮穴郡「久万町」と越智郡南部「玉川町」に絞られたので、正岡姓の分布を実際にMAP化しようと、思い付いた。コピーしたばかりの白紙のものを繋ぎ合わせる。次に「正岡姓」を発見したら、ピンクの蛍光ペンで塗り潰して行くのだ。出来上がってみて、ピンとくるものがある。
まず、本命中の本命、西明神と東明神である。松山方向から南へ走る。砥部を過ぎ、三坂峠を越えると、33号線と久万川が、絡んだり、離れたり、戯れている。川の東側が「東明神」。当然、西に「西明神」。田圃の中のもっとも佳い場所に、一塊りになって四、五軒が肩を寄せ合っているのを発見。集落の傍を久万川の枝川が走っている。皿木川である。部落の小字は「高山」。6軒の「正岡姓」。一番敷地の広いのが「昭」家。手元の資料
と引合せる。ここは、まだ東明神だった。
「賢一」「安則」「伊佐美」「千年」「サカエ」と繋がる。東明神でひたすら農業に専念することを家訓とし「助太郎」から「玉位」へ、そして「昭」へと家長の座をがバトンタッチしてきたあの堅実一筋の一族である。多分、西の周平・慶三一家とは強烈なライバル関係が続いていただろう。
田圃の中を走って、一旦、幹線道路・33号線へ出る。「高山寺」はこの地区でただ一つのお寺らしい。ほかに卍印は見当たらない。卍は「河内」と「秋葉」の二つの村社。「秋葉」の神主が「敏樹」。久万川は、このあたりから蛇行を始める。東西から低い山塊が押し出して、この村を挟みつけにしているためらしい。「大除城趾」は「久
万カントリー」の奥のあたりか。「明神公民館」の手前を右折すると、いよいよ西明神地区である。
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