戸籍簿の刻まれた変動の意味
それから次の変動が戸籍簿に露われて来るまで18年の歳月が経過する。日露戦争、第1次世界大戦が起こり、年号も明治から大正へと変わった。時代的な考察は別の機会に譲るとして、正岡姓を名乗ってからの重吉一家は幸福だったろうか。
西明神の正岡家とどんな交流があったのか。これは、まだ推察の域をでないが、二人を正岡周平さんの養子にしたのは、渡部長五郎さんの差し金に違いない。周平さんはやがて家督を慶三さんに譲って隠居する。慶三さんは久万山でも評判のやり手。村長、県会議員を務める。そして、米相場に手を出して破産したという筋書きが用意されているようだが、それはどうやら西明神正岡家の事とは思えない。このあたりも、6月の取材行の重要課題である。
私註;慶三氏の社会的業績を追って、「愛媛県会議員略伝」(明治29年)「愛媛県紳士月旦」 (明治30年) 「愛媛県紳士列伝」(31年刊) を捜し当て、例のマイクロフィッシュ映写室に立て籠もった。が、残念ながら捕捉することができなかった。が、一つ、新しい収穫があった。 |
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祖母・クラ 長男順吉の第1子(つまり孫)
誕生のころと思われる(従姉・良枝提供) |
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