小さな集落を一つ抜けると、突き当たりが寺院になっていて、右手の小高い丘の上に、やけに極彩色を施された城郭が見える。「中庄」という、三方を山に囲まれた部落で、因島村上氏の菩提寺がここにあるという。無料駐車場にクルマを停める。歳の暮れの30日に観光をする結構な身分の人たち……というより、ぼくらと同じように「しまなみ」通過中に吸い寄せられたらしく、神戸や大阪ナンバーのファミリーセダンが3台ほど、先着していた。
資料館は休館だった。水軍城への坂道を登る。道の両脇で翻る幟は丸に上の字が染め抜かれている。村上氏の紋どころと気づいた。なにやら、威勢のいい雰囲気になってくるから、不思議だ。頂上に着く。案内板を読んで、納得した。歴史学者の奈良本辰也さんが、地域振興のために、多分、こうじゃなかったか、と往時の村上水軍城を再現したという。
「実は私がこれから因島へまいりますのは、因島の土生という所に、私が設計しまして水軍城を造っているんです。因島市が一つこんど観光資源のためにお城を復元してみたいという。ところがあの青影城は全然復元するよすがもない。頼りがないんであります。全然わからないのです。あそこにあったということだけはわかりますけれども……。しかも現在はその地にお城を造ることもできないので、いまの金蓮寺があるその右側にミカン山がありますが、そこにお城を造ることになりました。しかし何もないですから、一体どういう城だろうということで、私は城郭に関する建築のいろいろな本を読みました。おそらく水軍の初期の砦であったか、館であったか、少なくとも館以上のものではなかっただろう。
しかし同時にそれは砦の意味も持っておった。だからあの山の上だったら大体こういう城を造ったらいいだろうということで考えたのがあの城なんです。
大体、水軍の城というのは陸地にあるのが本城ではなくて、むしろその船団の中心になっている、のちの安宅船というのがお城だ。安宅船の構造を見ますと、当時の館のような櫓がある。館のような建築がある。そうすると、これを陸の上に据えたらいいのではないだろうかということで、それをあの山の上に据えることにしたのです。こういうふうに軍の本物の城、一番重要なこれが城だというのは、むしろそういう中心となる戦闘艦であった。そこに総大将が乗っていたということで岡の上の城というのは第二次的なものです。その代わりに、至る所に見張所がずうっとありまして、岬と岬を見張所でつないでいる。船の影が現れて、これは問題だというと、すぐに一番先に見つけた見張所から煙が上がる。それを見ている隣の見張所からすぐにまた煙が上がる。順々に回っていってそれが本陣に移るようになっています」 |

水軍城と隣接する金蓮寺

このあたりは中庄浦と呼ばれ海がすぐ傍に
美術館入り口に飾られたこの絵に魅入られている時だった。妻の弾んだ声が聞こえた。
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