(四)幸門城主系正岡氏について〔河野家正岡氏系図〕は略す。
伊予古城砦記を見ると「中通城」が龍岡村にあり、正岡丹後守拠守すと書かれ、伊予温故録にも同じく「中通城」は龍岡上村中通にあり正岡丹後居ると記されている。この記載の丹後守は正岡経孝を指すものと思われる。
中通部落の背後に高さ二九五mの小山があるが、これで正岡氏は早くからこの地に居住していたことと思われる。ところが菊間町誌によると「幸門城」について、この城は玉川町龍岡下、妙見前・鍛冶屋・長谷・桂の四部落の接点二四〇mの頂点にある山城で、河野家十八将のうち正岡尾張守・備後守、修理亮昌仲・備後守元安・左衛門太夫経成・丹後守経貞代々の居城であると記されており、また「俚諺集」を見ると風早郷北条館の項に、
「北条太夫親孝・経孝・風早大領安国・風早伊予権介為綱皆この地(北条館)にいる」
と書かれている。北条館は北条市本町と上町の境の辻天満宮のあたりである。 したがって正岡氏は親孝、康孝、経孝の頃は正岡郷の北条館に居り、経孝が後に龍岡へ移って後、弥太郎弘経頃まで龍岡中通城に住み、経純頃から幸門城に移ったものであろうと考えられる。 |
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| 正岡一族の主城・幸門山城址の頂上。本丸址か? |
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| 「宮の台石造宝篋印塔」今も香華の絶えることなし |
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