旭が真っ正面に昇ってくる岡 (3)
いよいよ結論として古代から呼ばれていた「頭日(かぐや) の岡」が「正岡」になった理由である。それはただ想像するほかに根拠のある問題ではないが、まず「頭日の岡」とは、「旭が真っ正面に昇ってくる岡」を意味する。即ち「那珂郷の東に横たわり祖神饒速日命を祀る神聖な、しかも真っ正面に旭の昇る岡、国津比古命神社の岡」をさしていると見たい。この岡は立岩川がまだ岩瀬川と呼ばれ高田から高縄山麓の裾を流れて「頭比(かぐや)
の岡」の南方を過ぎ、中西外から別府・黒岩の方へ流れていた頃で、那珂郷が、この岡の南端と山裾の間へ狭められ「佐古」地形を形成していた頃の話である。したがってこの「頭日の岡」を「日の真東から昇る、また高縄山裾との間に佐古のある岡」即ち「真日の佐古の岡」とも呼んだであろう。それは次第に簡素化され「真日佐古の岡」から「真佐古の岡」=「真佐岡」=「正岡」になったものではなかろうか。そのように考えると正岡氏は「大祖先饒速日命を祀る大氏神の岡の名を自家姓として芽出たい名であめというわけである。
ちなみに正岡村が成立したのは明治22年12月、市町村制実施により庄村を除く八反地・寺谷村、神田村、院内村、波田村、中西内村、中西外村の7ヶ村が合併して八反地庄屋宅の勘定場跡を借り、村役場として、正岡村が発足したのであった。この村名「正岡」を決定するときも、多分、氏の祖神の御霊います岡の名を挙げて全員一致賛同したことであろう。
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正岡地区の中央通りの突き当たりが国津彦神社

神社へ通じる石段 そ両側の石玉垣に「正岡姓」は?
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