幻のルーツ 風早へ 九萬山へ
                 正岡一族の墓標・妙堂石
第2部 8
ダムの底に沈む前の玉川町竜岡 右の山稜が幸門城址のある大戸山 左の大きな森が天神社(阿部神職提供)
     
「周平さん」を探して……越智郡玉川町の「正岡家」
粟井村の庄屋の記録や、村会議員の名簿を洗うことで、その時代の「長者」たちのリストアップは済んだ。あとは現地を踏査するまでである。とはいっても、「田中重吉・クラ」の夫婦が両養子で入った「正岡周平」との接点が一向に浮かび上がって来ない。鉾先を少し変えてみた。国会図書館の設立がいつかは知らないが、昭和23年受入れのカードの中からえらく古い記録を発見した。
明治20年5月発行の『愛媛県戸長名簿』である。もしや、という予感があった。係員に渡されたのは一組のマイクロフィッシュだった。なるほど、こうやって保存しておくのか。妙に期待感は昂った。プロジェクターのある特別閲覧室へ。画面にタイプライターでたたき出したと思われる人名が映し出された。
まず、当時の行政区分によって腑分けされてあるので、阿野鵜足郡、那珂郡、豊田郡、三野郡、宇摩郡は割愛して新居郡、周布桑村郡からノートに書き取ることとした。

 なお、「戸長」は明治政府の施策によって明治12年に官選でスタートしたにもかかわらず、自由民権運動への抑圧策として、5年後の17年からは県令の撰任にすり替えられた代物であった。因みに、その頃の県会議員の資格は満25歳以上の男子、地租10円以上とされ、選挙人資格は20歳以上の男子、地租5円以上で、第1回の選挙では周布郡からは並頭耕平、桑村からは内藤駒太郎が選出されたという(東予市誌)。
準6等  周布郡新屋敷村外二ヵ所    星河豫一右衛門
準7等  新居郡金子村外2ヵ村      岡田 実
      周布郡大頭村外4ヵ村      松尾榮八
      桑村郡新町外4ヵ村       越智多作
      仝  壬生川村4ヶ村       一色範美
      周布郡丹原村外5ヶ村      安部仁平治
      桑村郡徳能村外5ヵ村      近藤廸介
      周布郡田野村外4ヵ村      高瀬隣太郎
準8等  周布郡玉之江村外4ヵ村     田村鉉吉
      新居郡氷見村           久門信太郎
      周布郡石鎚村外5ヵ村      玉井舊通
      桑村郡桑村外3ヵ村        真鍋利策
準9等  周布郡北条村外1ヵ村      砂田祖一郎
      桑村郡旦ノ上村外4ヵ村     藤岡砂太郎
      周布郡明河村外1ヵ村      佐伯太郎朔
準10等  周布郡鞍瀬村外3ヵ村      佐伯郁右衛門
      仝  千足山村           村上善助
準6等   越智郡宮窪村外1ヵ村       長尾信高

    (中略)
今の玉川ダム畔 正面の山稜が幸門城址
湖畔の石垣はかつての何に使われていたのだろう?

「東予」には痕跡なし 
二人の村長さん=竜岡村・正岡乕三郎、久和村・正岡金右衛門
      越智郡桜井村外3ヵ村          芥川峯太郎
      仝  今治村                松村義武

準9等  越智郡鈍川村3ヵ村            森 繁三郎
      仝  竜岡下村外2ヵ村          阿部文哉
      風早郡和気温泉、久米郡

準7等  風早郡和田村外13ヵ村          大森盛直
      仝  八反地村7ヵ村           門田信弌
      仝  北条村外3ヵ村           森  糾
準8等  風早郡下難波村外4ヵ村         林  廣
      仝  饒村外5ヵ村             栗原鄭八
      温泉郡別府村外3ヵ村           清水大三郎
          風早村善應寺村5ヵ村       原  虎亨
      久米郡井門村外6ヵ村           清水道正
      仝  東石井村外5ヵ村          中堀眞道
準9等  風早郡吉沢村外7ヵ村           逸見義定
      仝  佐古村外10ヵ村           仙波信正
      仝  睦月村外1ヵ村           村上憲八
準10等  風早郡才ノ原村外11ヵ村        松浦房太郎

上浮穴郡
準7等  久万町外3ヵ所               田中知徴
      伊予郡湊町外1ヵ所            玉井健次郎
      仝  余戸村外               二神精一
葛谷にある「千人塚」幸門・正岡一族を弔う
玉川町鍋地の佇まい 正岡金右衛門さんの本拠
いささか関係ありと思えるものだけに端折ったが、ここでも「正岡周平」の影すら捉えることができなかった。父の記憶が適当に時間をかけて曖昧になったり、話が膨らんだりしたのかも知れぬ。
「クマヤマ」については周桑郡から発見するのは無理なようだ。「久和村」(越智郡)なら「正岡」姓の村長はいるので、あるいは、とも考えられるし、浮穴郡の久萬山=久万町なら、とも思えるふしがないではない。

『玉川町誌』によれば、鈍川村・正岡太八(大正11〜14年)、竜岡村・正岡乕三郎、久和村・正岡金右衛門がそれぞれ村長として名を残している。

正岡乕三郎については、明治元年5月10日、鬼原村庄屋・武田萬三郎の二男として生まれ、明治22年、竜岡上村正岡要治の二女タネの養子となったが、その孝心ぶりはつとに評判で、越智郡郡会議員となる。
「太八」と「金右衛門」は昭和九年発行の『愛媛県紳士録』に紹介されているので、それに替える。
「太八」の原籍は鈍川村大字鬼原。明治17年生まれ。村役場に奉職して収入役、助役を務めあげ村長に。
「金右衛門」は明治8年生まれ。久和村大字鍋地。勲八等。小学校に15年余勤務し、久和村校長になったこともあり、郡書記に。昭和5年、村長に就任、とある。

その他、玉川村には「正岡家」の人々の名を町会議員に多く見ることができるものの、それ以上の、目を剥くような発見はなかった。さて、次の手はあるのか。
【私註】2004年7月「正岡会」が発足するが、その中心となった正岡徹会長の祖父が、金右衛門氏である。
■参考 「正岡一族」の「玉川町鍋地の正岡氏」
正岡乕三郎・竜岡村々長
正岡金右衛門・久和村々長

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