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第2部 5
「予章記」のヒーローは「蒙古襲来」で大活躍の河野通有(右から2人目)
宮内庁三の丸尚蔵館所蔵「蒙古襲来絵詞」より
(ロールオーバーして)この通有の
戦いぶりが一族回復の緒となる
長福寺(今治)にある通有の供養塔
     
予章記・河野分限録」を入手
 2000年6月の第2週には、風早の郷へ赴く予定をたてた。それまでに調べられるものは、可能な限り、手を尽くしておきたい。その手始めとして、国会図書館をターゲットとして選んでみた。4月11日、地下鉄有楽町線で「永田町」へ出た。巨きくて、ゆったりしたスペース。和書図書目録が納入期別に分類されている。

初めに、2冊を指名してみた。「中世における伊予の領主」(須田武男著)と「予章記・水里玄義」(伊予史談会双書第五集)であった。待つこと、20分。「1004」の入館ナンバーが電光スクリーンに表示される。まるで大学病院の薬を受け取るのと同じ仕組みに、つい失笑してしまう。

 残念ながら、「伊予の領主」は南予・宇和島周辺に限られていたので、すぐに返還し、「古城をゆく…伊予の中世史より」(松久敬)を改めて申し込む。

たとえば公立の図書館をとことん利用してみようか
「古城をゆく」にめぐり逢う
 心はすでに、「予章記」に奪われていた。この中に、かねてより追い求めていた『河野分限録』が同載されていたからでもあった。閲覧室へ直行。これ、これ。これが読みたかったのだ。コピーシステムがある。早速、手続き。1冊でコピーできるのは50ページと限られるという。うまく48ページで収まった。金、724円也。神田の古本屋街で購えば1万円は覚悟せねばならぬものを。ありがたや、である。
【註】2000年当時は50ページと限られていたのが、現在では80ページに拡大されている。コピー代も1枚30円が24円にさげられている。 
コピーの上がりを待つ間に、「古城をゆく」を受け取る。「愛媛新聞」に連載されたものを、加筆整理して単行本化した1冊で、これこそ、ぼくの求めていたものと言えた。直ちに、コピーしたい項を摘んで複写をお願いした。787円也。しめて1511円。この収穫は計り知れないほど、大きかった。
「予章記」については景浦勉氏がいろんなところで解説・紹介しているので、資料的には、急ぎ深入りしなくてもいいだろうが、「河野分限録」だけは子細に点検したかった。これまで、「越智の正岡氏」の各居城の陣容は、この古文書が立脚点となっているからだ。
国会図書館の写真をクリックされたし
御一門32将
誇らしげに「正岡右近大夫経政」の名あり
『河野分限録』は「河野人数巻」ともいい、筆者は不明だという。戦国末期における河野氏配下の部将の氏名、本拠とした居城名、所属の家臣名に加えて騎数等を列記している。それは、こんな風に記述されている。

予州風早郡高縄城主 温泉郡湯月城在城
河野伊予守越智朝臣通直卿御内 始四郎殿ト云、中頃 兵部大輔ト 号ス〔 後 伊予守ト号ス〕御一門三十二将之事

枝松太郎光栄 由並壱岐守通賢 栗上左衛門尉通妙  栗上因幡守通宗 栗上但馬入道通閑 別府宮少輔通興 大祝日向守安勝 垣生加賀守盛周 大野山城守直昌 村上掃部頭武慶 村上備前守吉光 村上出雲守通康 忽那式部少輔通著 得居半右エ門通久 大内伊賀守信泰 平岡遠江守通倚 南美作守通師  土居兵庫守通建 松末美濃守通為 久枝肥前守宣盛 桑原三郎兵衛泰国 戒能備前守通森 今岡民部大輔 中川常陸守通任 重見弥七郎通俊 正岡右近大夫経政 黒川美濃守通博 和田山城守通勝 河野左門通冬 土居左馬介通利 櫛部肥後守宣武   得能遠江守通能

   以上三十二人 御代々御連著御末孫 此三十二家ヨリ
といった具合である。あえて列記したのは河野氏股肱の衆の氏姓の特徴を把握しておきたいからだ。
正岡紀伊守は手勢5騎の外様譜代衆
わが正岡氏のご先祖は、越智郡幸門城主 正岡右近大夫経政の名が十八将の一人として、誇らしく挙げられている。手勢15騎、御旗下組15騎、合計30騎。ここまでは、これまでの史料で知っていたが、このあと、「御旗下組衆」が列記されているのが新しい発見だった。
さて、「鷹取城主」の正岡経貞はどこへ行ったのか。外様譜代衆として名を連ねている。
正岡紀伊守       越智郡鷹取城主     手勢5騎
 墓所新谷村光雲寺ニアリ    新谷村ノ内
 同じグループに、いろんな挿話で絡み合う重見孫七郎(石井山・6騎)、岡部十郎(重茂・3騎)、越智駿河守(鷹森・5騎)櫛部出雲守(竜門・4騎)らが顔を揃えている。
なお、「分限録」の底本は得能通義本(下浮穴郡野田村)で、後に得能通貴本と校合されているという。この史料を通じて、河野家臣団の構成と彼らの活躍した地盤を知ることができるので、ほかに類書もなく重要史料として活用できる。
ところが、である。「水里溯(そかい)録」という希書が付随していた。初めて耳にする題名である。溯とは流れを遡るという意味だから、河野氏の起源を論ずるものであるにもかかわらず、なんとその分流・正岡氏の由緒、ならびに同氏が主宰した風早郡の三島明神社の職歴に力点があった。筆者は塙忠韻とあり、伝承を中心としたものではあるが、河野氏の家臣団の系譜・記録がほとんど絶無に近いことからなれば、正岡氏研究に貴重な参考史料といえる(景浦勉氏)。

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