●当日参加できない方も参考までに 平成20年7月12日
第2回正岡祭り2008史跡めぐり
正岡祭の第2日目は、午前中が式典と正岡の歌「海と山」の披露(元宝塚・真丘奈央さん出演)があり、午後は希望者による「ゆかりの史跡めぐり」です。今回は「正岡地区」をじっくり歩いたあと、伝・正岡経政供養五輪塔のある玉川中村の「医王寺」へ。最後は「天神社」でお開きとなる予定です。
庄薬師堂 史跡めぐり 資料Ⅰ
恵良山麓の庄薬師堂から立岩川越しに「正岡地区」の国津比古命神社などが鎮座する丘を静かに見守り続ける五輪塔群ですが、今回は特に、ここの収蔵蔵で保安してある「菩薩立像」を拝観できることになりました。「風早」誌の表紙として創刊号からがんばっている、あの「仏さま」です。なお、庄薬師のある難波地区には「十輪寺」「大通寺」といった名刹もあります。
●木心乾漆菩薩立像
(左・もくしんかんしつ ぼさつりつぞう)
庄薬師堂にある木心乾漆菩薩立像は、蓮華張台座の上に立ったハルニレ材使用の一本彫木像で高さは2・3㍍。腕や顔にかなり損傷が目立つが、その目鼻立ち、両耳など乾漆をつかって形津食ったもの。童顔に近い若やいだ面持ち、肩の張りから胸の肉どりの厚み、腰から脚への衣丈など総じて奈良朝の作風をよく示した平安初朝の製作といわれ、県下最古の彫像として注目される。
●木像菩薩立像(右)
高さ2・15㍍の松材を用いた一本彫立像で髪は頭の上にあつめて束ね、天衣をかけ胸飾り、うで輪をつけ裳をつけ左膝をゆるめて立つ彫像である。木心乾漆菩薩立像とともに平安初期の古風をのこしながら地方作風の粗豪さが出ている。伊予造像の高貴な作例といわれ注目されている。「風早」の表紙を飾り続けているのはこちらの菩薩立像。
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●薬師如来座像
薬師堂の本尊で、室町後期(1339~1573)の作といわれるが作者は不明。県下で最大の地方作風顕著な木像仏である。座高・5㍍、膝幅1・85㍍、総檜材の寄木造の座像で、薬師如来の脇侍日光・月光菩薩や十二神将などの揃わない事は、まことに惜しまれる。
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●仏像群
庄薬師堂内には前述三体の仏像のほかに四〇体にあまる仏像群がある。その製作年代の幅は広く十~十二世紀のものと推定され、中には武装した二体の帝釈天像、天衣をまとった軟顔の吉祥天と思われる仏像などが見られる。これらの作風にのこる文化的意義は大きく、かつ重要である。郷土にこのようなすぐれた文化財が保有されることを大いに誇りたい。
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●兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてん)
兜跋毘沙門天は、地天の両肩に直立し、胴の部分にからだに密着した鎧を着用し三面立の宝冠をつけている。両手と鼻頭その他欠損が見られるが一本彫り製法による彫刻で、身体全体が量感と力の充満した堂々たる風貌で、1・82㍍とは思えない強大な迫力がある。突出した山形の唇、小さなあごなど、明らかに貞観時代(859~876)の彫刻の特性を備えているといえよう。
(北条市誌・文化財の章より)
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医王寺 史跡めぐり 資料Ⅱ
高野山真言宗 宝どう(適字ナシ、巾篇に童)山薬師院医王寺
住職氏名 乃万真現
所在地 玉川町中村
本尊 薬師如来
脇仏 日天、月天
その他の仏像 不動明王 多聞天 愛染明王 地蔵菩薩 弘法大師 福見観音
建造物 本堂(間口×奥行)三間×四間 建造江戸末期)
庫裏 八間×四間
年中行事 大般若会 施餓鬼会
寺宝 幸門城の枝城 米田城城主のご位牌
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