子規は二十二歳で肺結核にかかり、病気という負の条件をバネに精一杯生き抜き、その大半の仕事を六尺の病床で積み上げて、わずか三十五年の生涯を全力で駆け抜けました。そのような志(アンビション)を持って生きた明治の各界を代表する人物が数多くこの地を訪れたことも、もっと揺り起こしても良いのではないでしょうか。
子規の庭を訪れる度にこのような思いの募る今日この頃です。
【「子規の庭だより」より】
■(子規と庭)花だより
子規は赤い色へのこだわりが強かった。明治32年のホトトギスに「赤」と題して次のような随筆を掲載している。
‥‥天然の色でもその中で最も必要なのは赤である。赤色の無い天然の色は美しくても
活動することがない‥
子規は特に赤と白のコンストラストにこだわった。真白な部屋の中の紅の花、濃い赤色の部屋の白い服。子規は結核で赤い血を吐き、自らを子規(ほととぎす)を号した。この鳥は口の中が赤いからである。
今回、子規の庭の句碑の背景にはヒラドツツジの赤花と白花を寄せ植えにした大刈込を配し、子規の詩心を表現した。この花は長崎平戸の武家屋敷に植えられたケラマツツジ、モチツツジなどの交配種と言われ、花色も様々な品種がある。まだ植えて間がないため刈込の形にはなっていないが、数年後には大仏殿の黄金色に光る鴟尾を背にして、白花と赤花の咲きほこる立派な大刈込になっていることであろう。
平成19年5月19日
「子規の庭だより」第1号より 正岡 明
|

■「子規の庭」友の会ご案内
●子規に関心のある方はもちろん、俳句・短歌や近代・現代文学、芸術・芸能あるいは奈良に関心のある方、さらに庭の好きな方、いろんな方と交流したい方々なら、どなたでも入会いただけます。
詳しくはホームページ「子規の庭」

こちらからお問い合わせください。
|