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玉川町鍋地と上浮穴郡久万町
宝林寺境内から見下ろした鍋地の佇まい。
遠くに見える平たい峰が幸門城址のある大戸山。
正式には「寶林寺」と書く。「桂のお釈迦さん」
傘下の「七宝寺」の一つとして栄えた。曹洞宗。
玉川町鍋地の正岡氏
 玉川町鍋地の正岡の系統は鍋地の宝林寺(現在はほぼ廃寺)今治市寺町の円光寺の過去帖および、鍋地の正岡泰宅の仏壇の繰り出し位牌から探ってみると、初代善兵衛、2代久兵衛とあり、3代安兵衛が元禄11年、1698年没となっている。
 それぞれ30歳の時の子供と仮定すると、善兵衛は1610年代の生まれとなり、各地の正岡氏と同様、その初代は正岡家滅亡の1585年の約2、30年後となる。
  当初は田中姓を名乗っていたがその後、正岡姓に戻った。4代保吉、5代庄助、6代金右衛門、7代庄兵衛、8代弥八、9代滝右衛門、10代覚治(1823〜1889)、11代嘉惣治、12代金右衛門となっている。
 
 累代の墓は鍋地にある。金右衛門は九和小学校第15代校長、九和村第14,15代村長である。(玉川町誌)

 その兄弟に7男1女あり、四男清一(1884〜1929)その女婿政信、その長男勝富、玉川町。長女山本ミサ子、今治市。次女渡辺洋子、今治市。五男徳三郎は今治市に分家、3男2女あり。長男博、その長男浩一、今治市。次男隆はレイテ島で戦死、三男康蔵(1927〜1978)は婦人科医師。その長男直樹も医師で東京在住。次男佳樹は眼科医師、今治市に開業。徳三郎長女、桑江瑞枝、今治市。次女宗雪千里、東京都。  
河野四郎為世の霊を祀る四良明神神社 四良神社の内部。絵馬が見事。 四良神社の石玉垣。ズラリと正岡姓。
 金右衛門の長男勇(1898〜1978)は大阪に出て、内科医開業。
 長男昭、名古屋市大外科名誉教授。正岡家の歌を作詞作曲。
 次男徹、大阪成人病センター元病院長、正岡会会長。
 三男哲、神経内科開業。
 長女岩橋陽子は東京。
 二女圭子の長女矢吹藍子はニユーヨークでテレビキヤスター(モーニングサテライト)。

 金右衛門二男通雄は鍋地の家督を継ぎ、13代、3男2女あり。  
 長男泰が14代。その長男15代直記は正岡会事務局長。
 通雄次男の義男は神奈川県。
 三男英希は千葉県。長女越智麻智子今治市。次女矢野悦子、今治市。三女片野厚子、今治市。
 金右衛門長女河上ハル子、その長男河上浩,は玉川町。」次男健、玉川町。

 金右衛門三男上田茂雄は、叔父の上田筆一の跡を継いで今治市在住。正岡家の歴史探索に努力している。今回覚治以降の鍋地正岡家の123名に及ぶ名簿を完成した。                   
                                     (徹・記) 鍋地正岡氏12代当主・金右衛門氏
鍋地正岡直系の上田茂雄さん、義男さん(秦野市) 勝富さんと泰さん 英希さん(千葉在住 事務局長の直記さん
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