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   正岡一族の誓い

  
  最後の鷹取城主

  正岡紀伊守経長夫妻が1585年落城自決の際に残した誓いの言葉(吉祥寺伝)


    このふたりの言魂は正岡一族が受け継ぎ、長く伝えていく。
                   
                          
 (正岡会世話人会 2004年1月18日)
    

    
    はじめに                      正岡会会長 正岡 徹


 1136年、初代正岡経孝が大三島大明神の別宮の地頭神主となり、正岡郷の領主となって、正岡家を創めて870年が経ちました。1585年、秀吉の四国攻めで亡ぼされて一族が離散して、420年が過ぎました。しかしわれわれの祖先は滅亡のときにも立派でした。巻頭に掲げた、最後の鷹取城主正岡紀伊守経長夫妻の落城自決の際の誓いは、我々正岡一族の誇りです。
 
 私が正岡家の歴史を調べ始め、正岡祭を準備し始めての10年間に、いろいろな場所で同じ志をもった親類に会いました。正岡貞雄はやはり正岡家の歴史を調べ、正岡孝一と協力して正岡家史跡を探索し、見事なホームペジを開いていました。正岡五郎左衛門は「正岡家先祖の墓」を守り、毎年数人でお祭を続けていました。今治市古谷では清水さんたちが、「紀伊守(きいのかみ)さん」と呼んで、おそらく紀伊守経長の奥方の祠を祭っておられました。重慶、重岩は800年にわたって神社を守っていました。大阪でも正岡山寒松寺が正岡常元、南明禅師のお墓を守っておられました。数え上げればきりのないぐらい多くの方が「正岡」を守っていました。
 滅亡後多くの正岡氏が隠れ、しばらくは他の姓を名乗っていますが、数世代たって再び正岡姓に戻っていました。この復元力は何でしょうか。
 
 全国の電話帳で2016人の正岡さんが判りました。今回そのような人たちが協力して正岡祭を行い、祖先の霊を慰め、昔を偲ぶとともに、これからの正岡一族の親睦とさらに800年後の子孫達のためにも正岡一族の歴史をまとめたいと考えました。各地の正岡氏からも原稿をよせていただき、その中には正岡子規の遺族の明の原稿も含まれています。正岡祭では、昭がこころをこめて作詞作曲した正岡家の歌「海と山」が披露されます。
 
 本書「正岡一族」はこのような「まさおか」の引力に引き寄せられた人達の心を貞雄が本に仕上げました。800年後の正岡たちに伝える贈り物としたいと思います。
 
   2004年(平成16年)5月24日