この悲劇の城主夫妻を供養する五輪塔が山麓の竹林寺文殊菩薩堂にあるときく。ともかく「鷹取城址」に早く足を運ばねばならない。
さて、史跡めぐりBで触れたように、正規の登山道のない山城に分け入るのは、一つ間違うと遭難のそれがある。背丈をこえる笹藪。虫、蛇。時期を選び、そのための周到な準備も必要だった。
2004年1月17日を、念願の鷹取山攻略の日と決めた。 |
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| ルートは地元正岡会の二人(上田茂雄、正岡孝一の両氏)が事前踏査を重ねた。 |
雪に閉ざされた「窓の峠」。手作りの案内板
までもうすぐだったと後で知る |
それによると、、朝倉村側の昔からの登山道はとても登れる状態ではないという。鷹取山の背後、つまり玉川町小鴨部から窓の峠越えで林道が古谷に抜けていて、かなりの地点までクルマで近づけるそうだ。朗報だった。
心を昂ぶらせて、松山空港に降り立った。 ところが時ならぬ雪が四国地方を直撃した。クルマは途中の峠道で前進できなくなった。やっぱり、鷹取城は難攻不落だった。
3月になって、正岡会の有志がやっと登頂を果たした。 |
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保安林の看板にかけられた手製の登り口標示 |
林道・古谷小鴨部線のもっとも標高の高い地点に保安林の看板があり、それに手作りの案内板がかけてあった。楽に歩ける杣道が、山稜を横切るかたちで鷹取城址が陣取る峰と向かい合える地点へと導く。そこからはハラを決めて、谷底へいったん下り、次に斜面をまっすぐに登る。
頂上にたどりつく手前で見事な石垣の出迎えを受ける。土止め代わりに、川石を積み上げたままで、落城以来、ほとんど人の手は入っていないらしい。420年前に積見上げたままの素朴な佇まい。感動しない方がおかしい。石質は硬く、割れ口は尖っていて、鋭い。「青石」と呼ばれる種類で、何かの折には、武器に使えるそうだ。 |
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| 石碑のある頂上は平坦で、ここは、他の山城と違うのだ。 |
山稜を横切るアプローチ道をゆくと…… |
城主の居館があり、城兵用の館まであったことを物語っている。土を掘ると兵糧用の焼き米も出てくる、というから、本格的な調査をしてみたいものだ。
石碑の正面に刻まれた「鷹取山城址」。裏側に回る。
「城主 正岡紀伊守経長
家老 清水右ヱ門通俊
天正十三年落城
明治三十三年 部分林設定により清水一統之を借受け植林せり
面積三町四反四畝
昭和三十八年二月 清水一統之建」 |
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いきなり真っ直ぐ谷底へ下るしかないのだ |