○○の日記 本文へジャンプ
キャッチフレーズは「420年ぶりに逢いましょう」
2006年7月、正岡徹会長の叙勲パーティが大阪のホテルで催され、その席上、徹会長が情熱を注いでいるものの一つとして「正岡会」があるが、それを列席者に、スライドを使って説明して欲しい、というご指名があった。そのときの内容が、結局のところ、その2年前に催された「正岡祭」を再現することだった。で、それを再録してみることにした。
 北条を海と山のから見てみる
正岡祭の源流
河野氏の奉行人として登場する正岡氏
ちょうど2年前のことです。「正岡」という同じ姓をもつ人々が、その発祥の地である北条市(今では松山市に編入されましたが)の高縄神社に集い、念願の「正岡870年祭」を初めて催しました。
 といっても、列席者の中には、「もと北条市」といいましても、位置関係がはっきりしない方もいらっしゃるので、瀬戸内海、しまなみ海道、四国、高縄半島とMAPを拡大していって、視覚的に説明します。(スライドで表示)その上で北条を鹿島から見たアングルと山側からのと2枚、紹介します。
ご存じのように、瀬戸内海は古代から海上交通のメインルートで、九州はもとより中国・朝鮮半島から大和・難波への交易船は、ここを通り、風待ち、潮待ちもあって伊予の国と周辺の島々は要衝拠点でした。そのため、10世紀になって東の平将門に呼応して、瀬戸内海で藤原純友が西国の海賊を統率して乱を起こしますと、中央政権は大騒ぎとなります。この鎮圧に功があったのが高縄半島の伝統的豪族であった越智氏でした。その越智氏にかわって、新興の武士団として台頭したのが、越智氏の支流である河野氏で、やがて伊予一円を守護として統率していきます。
その河野氏の遠祖北条親孝の四男康孝の子・経孝が、1136年、大三島大明神別宮の地頭神主となり、正岡郷の領主となって正岡家を創めます。それが870年前に当たるのです。
河野氏の流れをくむ「正岡氏」は、室町時代に入ってからは、河野家の実務を執る奉行人として登場し、戦国期には、正岡氏の惣領は、越智郡(今は今治市に編入)の幸門城主、鷹取城主となって、河野氏の重要拠点を防衛する譜代の城将として起用されていた。

それが豊臣秀吉の四国征伐によって、主とたのむ河野家はあっさり消滅し、正岡一族も散り散りとなり、姓を変えて野や山に潜み、やがて復姓して帰農したり、あるいは新天地を求めて全国各地へ散っていった、といわれています。

それから、およそ420年が経ちました。ここにひとりの仕掛け人が登場します。本日、みなさまからその叙勲を祝っていただいております、そのご本人です。この10年間、ルーツである正岡氏の歴史を調べ、ゆかりの地を訪ねるうちに、いろんな場所でいろんなかたちで「正岡家」を守り続ける末裔たちとめぐり逢います。交流が始まりました。そこでもちあがったのが、散り散りになって420年、みんなで集まり、祖先の霊を慰め、一族の親睦をはかろうではないか、という熱い想いでした。
全国の電話帳で2016人の「正岡さん」が登録されているのがわかりました。(ちなみに全国ランクでは2000番目前後にすぎません)さっそく、一族有志による世話人会が発足し、呼びかけが始まったのです。

2004年7月18日の当日、北海道、沖縄までの、200人近くの「正岡さん」が集まり、盛大な祝典となりました。徹さんのお兄さん、昭さんが心をこめて作詞作曲した正岡家の歌「海と山」も披露されました。
 地元・愛媛テレビのカメラクルーも入っていて、その模様は翌日の朝のニュースで紹介されました。
 
 

神事のあとは、参加者はバスに分乗して、正岡氏ゆかりの史跡である八反地の宗昌寺から、今治市朝倉地区古谷(こや)の吉祥寺・鷹取殿をめぐりました。正岡一族の居城であった幸門城址や鷹取城址はバスで近づけるはずもなく、次の機会にゆずりました。そのかわり、玉川町竜岡の天神社に参拝しました。ここにはダムの底に眠るはずだった幸門城主一族の五輪供養塔が、その境内にうつされていて、参加者の心に響くものがあったそうです。
    




正岡祭りの仕上げは、道後温泉のホテルでの懇親会。ここで、正岡祭りはオリンピック並みに4年毎の開催が決まり、そのあと式歌同様、昭さん作詞作曲の「のぼるさん」を全員で合唱、こころを熱くして散会した次第です。
 

聖地・幸門城址への道はつくれないものか?
 この正岡祭で、語り合ったことの一つに、みんなで、われらが聖地・幸門城址に登れないものだろうか、がありました。つまり、頂上への道を造り、沿道と頂上の広場に桜を植え、花見の宴を開こうじゃないか、というのでした。さっそく正岡会は動いたのです。以下、スライドで地鎮祭
やら、それまでは、こんな矢竹や熊笹に掩われた状況を紹介。やがて頂上までの道が造られ、2005年2月になって、やっと世話人会全員が幸門城に初登城できるところまで漕ぎつけました。つづけてその足で、鷹取山城址へ。最年長の正岡重慶さん(高縄神社・前神職)が子息の重岩さんに手をひかれて合流してきた時には、全員、大拍手でした。

桜植樹もすみました。
 

そして2006年の4月には小さな花が咲きました。いつか、幸門城址が桜で染まる。そんな日を夢見ています。
CD/DVDをぜひどうぞ!
この「正岡祭」の模様は、それぞれCDとDVDに収録され、入手できるので、ぜひご覧いただきたい。とくにDVDは前日の世話人有志による準備の段階から、仕上げの懇親会パーティの模様までバッチリ入っています。記念刊行「正岡一族」の現物もどうぞ。購入連絡先はこちらです。どうぞクリックを!