その河野氏の遠祖北条親孝の四男康孝の子・経孝が、1136年、大三島大明神別宮の地頭神主となり、正岡郷の領主となって正岡家を創めます。それが870年前に当たるのです。
河野氏の流れをくむ「正岡氏」は、室町時代に入ってからは、河野家の実務を執る奉行人として登場し、戦国期には、正岡氏の惣領は、越智郡(今は今治市に編入)の幸門城主、鷹取城主となって、河野氏の重要拠点を防衛する譜代の城将として起用されていた。
それが豊臣秀吉の四国征伐によって、主とたのむ河野家はあっさり消滅し、正岡一族も散り散りとなり、姓を変えて野や山に潜み、やがて復姓して帰農したり、あるいは新天地を求めて全国各地へ散っていった、といわれています。
それから、およそ420年が経ちました。ここにひとりの仕掛け人が登場します。本日、みなさまからその叙勲を祝っていただいております、そのご本人です。この10年間、ルーツである正岡氏の歴史を調べ、ゆかりの地を訪ねるうちに、いろんな場所でいろんなかたちで「正岡家」を守り続ける末裔たちとめぐり逢います。交流が始まりました。そこでもちあがったのが、散り散りになって420年、みんなで集まり、祖先の霊を慰め、一族の親睦をはかろうではないか、という熱い想いでした。
全国の電話帳で2016人の「正岡さん」が登録されているのがわかりました。(ちなみに全国ランクでは2000番目前後にすぎません)さっそく、一族有志による世話人会が発足し、呼びかけが始まったのです。
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