クルマをメディアにして大衆のこころを掴む。「カーマガジン」か。いけるじゃないですか。早速、当時のクルマ雑誌事情を調べた上で、編集担当と営業担当の両専務に相談すると、そろって「それはいいね。研究してみなさい」と、反応してくれた。伏線はあった。講談社では別会社をつくり、新しい鉱脈に向かって二つのプロジェクト・チームに挑戦させていた。健康雑誌の「壮快」と夕刊紙の「日刊ゲンダイ」である。
ほどなく、編集担当専務に呼ばれて、名刺を渡された。
「この人たちが、新しいクルマ雑誌を構想しているなら、相談に乗りたい、といっている。直ぐに連絡をとりたまえ」
環八通りを中心とした首都圏の中古車専業ディーラーで結成している「A=1グループ」の主力メンバーの社長たちだった。「JAXカーセールス」
「西武モータース販売」「原自動車」……当時、売り出し中の若き起業家として、ぼくも、その存在だけは知っていた面々である。講談社が単独で創刊するのではなく、今度はジョイントベンチャーを、上層部は考えているのか。面白いじゃないか。
彼らが常用しているホテルニューオータニの「ゴールデンスパ」を指定され、単身、赴くことになった。会ってみて、驚いた。3人とも、まだピカピカの30歳台。こちらだって、41歳になったばかりだが。
「グループ40社で毎号1000万円の広告出稿を約束しよう。読者から信頼されるクルマ専門誌を創って欲しい。
彼らの言葉は熱かった。この目の輝きはどこから来るのか。もっと話を煮詰めるには、彼らとつき合って見よう。 |
自動車誌設立のため、講談社に準備室が作られた。中心となって動いたのが編集局長として活躍した筆者(左)と初代編集長の高橋克章(右)「ヤングレディ」時代からのコンビ。

社員旅行のヒトこま。右端は創刊時の経理部長、須賀勝三。奥には徳さんのメルセデスベンツSECが見える。因みに、このX19のオーナーはこの年の新入社員、勝股優であった。 |