世界のクルマ原籍地訪問 本文へジャンプ
欧州クルマ見聞録

1982年5月。
ヨーロッパのクルマ一流品の原籍地を訪問。その見聞録は、当時としては、たいへん貴重なものだったが、今でも、その光を失っていない、と自負しているが、いかがだろうか。
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11年ぶりのヨーロッパ
 1982年の記録である。
『欧州クルマ見聞録』と通しのタイトルをつけた旅行記を4回にわたって、自分の創りあげた自動車雑誌「ベストカーガイド」(当時はそう呼んでいた)に連載している。このままでは誰も気づかないまま、ただの出来事として消えてしまう。
 そいつは、やっぱり哀しいじゃないか、やり切れないじゃないか。となれば、自分で掘り起こして、新しい空気に当てて保存しておくしかない。ぼくにとって『わがパリ、遥かなり』の続編である。

 はじめてヨーロッパを漂流したのが、1970年の5月だった。次の年も同じ季節に、今度は単独ではなく俳優の石坂浩二、浅丘ルリ子のハニームーンに随行して、パリ、ローマに遊んでいるが、このときの記録はほとんどない。それから20年たって、再びヨーロッパという、ぼくにとっていつも新しい炎を点けてくれる風土、歴史、人たちが、どんなふうに関わって行くのか、思い起こしておきたい。

 創刊して5年目、「ベストカーガイド」は軌道にのり、講談社系の新規メディアのなかで、もっとも期待度の高い、勢いのある自動車専門の月刊誌として認知されはじめていた。その証拠に、自動車メーカーやタイヤメーカーのイベントへの招待が頻繁で、ピレリの総輸入代理元の「阿部商会」が初めて企画した「ヨーロッパのクルマ関係一流品に触れる旅」への参加を請われたのも、そうした時期の嬉しい出来事だった。12年ぶりのヨーロッパか。心は昂ぶった。
成田空港でのピレリ遣欧使節結団式

ニュルブルクリンクオールドコース見取り図

《悪魔のリンク》ニュルブルグリンクとの邂逅
この世界でもっとも難しい、タフなサーキットを日本に紹介したのは、多分、このときのレポートが最初であろう。いまではわが国の自動車メーカーも、タイヤメーカーも、競ってここを開発基地にしている。あれから、すでに20年あまりが経ってしまった。
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コースをバスでガイドしてくれたスターレーサー
右の写真で、ひときわ背の高い紳士がバスガイド役のシュトメレン選手。その秋、アメリカのレースで死亡。
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グランプリコースに変身する前の貴重なショット
ホームストレート前のピットで。今ではここはグランプリコースに変身している。 イメージ