さて、モデナの日から、メモをしたためる時間がなかった。20日の午前中、アンサのマーケティング部のシニョール・グルワーニがホテルまで迎えにきてくれた。まず、マセラッティ社へ。ホテルの右脇をオーバーブリッジ方向へ左折したら、その橋のたもとにマセラッティ社はあった。前夜、迷った終点あたりでないか。
工場を見学しただけで、すぐにマラネッラへ車首を向けた。30分後、ぼくらはフェラーリの正面玄関にいた。レストランとF1ショップ。ぼくらへのサービスのつもりなのか、なんだかわざわざという感じで、黒い幌をかぶった348らしき試験車が2度も駆け抜けてくれた。こちらも、それにこたえて、キャノン、オートボーイでパチリ。
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マセラッティ社のシンボルマークはネプチューンの鉾 |
次はランボルギーニ。25周年記念モデルがちらっと見えたが、撮影は不可能だった。そこから、ロンバルディ特有の曲がりくねった、林を抜けるワインディング道を走る。着いたのは例のレストラン『ラ・ローザ』。あれから改装したらしく、内部はモダンになっていたが、味のほうは昔のまま。マーケティング部長が迎えてくれた。「月桂冠」と「BM」を渡す。
午後からはアンサ本社。このあたりからヒサシ監督の動きに仕事らしさがこもってきた。
オートメカ化が進んでいた。大衆車への対応のためだった。348搭載用は一日にせいぜい3〜4個の完成がいいところだという。クラフトマン気質に焦点を合わせよう。
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珍しくラインの撮影OK。これもアンサーの威光 |
ミラノにもどると9時を回っていた。みんなが食事にいくのを、ぼくだけ断って、すぐに寝てしまった。ともかく、このままではカロリー過多が心配。
翌21日は7時起き。8時前にアンドォーラを出て、ビッツォーラへ。記憶の糸を手繰り寄せながらの道中は、格別の愉しさがある。アルペンサ空港を左に見て、あれっ、途中にこんな空港があったっけ、などと首を傾げてしまう。谷底へ落ちていく感覚。おっ、ビッツォーラは間近だと、すぐに分かった。
この日は珍しくアルプスの白い山並みが丸見え。やっぱり、例のピレッリレストランで昼食。撮影隊はコモ湖方面へ移動。アルファロメオの広報車を受け取るのが、ぼくに割り当てられた役。ニユーマン氏のドライブする944ターボに便乗してミラノへ。 |
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アンサー社。クラフトマンの技をじっくり拝見 |
ピレリからアキャレパパにあるアルファデポまで、結構な距離があった。渡されたのは33のステートワゴン。強引にでも164を借りてやれば、このあと、大井君らロケ隊のスケジュールを狂わせることはなかったのに、と悔やまれる。もう一つの悔いは、その33ワゴンで市内に戻り、例の革ジャン屋へ袖口をカットしたのを受け取る。着てみてガッカリ。袖の脇がたっぷりと拡がっていたのだから、無理に短く切り詰める必要はなかった。かえって脇がひっかかる。チンチクリンだ。革の質はいいかもしれないが、妻に笑われてしまいそうな買物になった。
モンツォーニを経て、モンテナポレオーネ通りに出た。シャネルの店がわからずじまい。徳さんをガレリイホテルに迎えに行ったのが7時15分。すでにロビーで待っていた。 |
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アンサーのマフラーはかくのごとく工芸品 |