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「世界のクルマ一流品」を改めてビデオマガジンに収録しようぜ!
■モンツァへ行こう! お得意の地図のない旅のはじまり 
 薄曇り。まずは中央駅に隣接したAVISで、ランチア・プリズマをレンタルする。1・6gDOHC。ドライバーは大井君に任せる。

 市内の石畳をくねくねと抜けた。やたらと多い広場がロータリー形式になっていて迷路に近い。センソ・ウニコ(一方通行)がそれに輪をかける。

 鳩の舞うドーモにたどり着く。圧倒される。神社のお賽銭ではないが、蝋燭を購い、灯りをともして聖母像に捧げた。祈る気分に抵抗もなく入って行けるから不思議だ。アーケードのなかで昼食。

 コモ・レッコの標識を頼りにモンツァへ向かう。お得意の地図のない旅である。

せいぜい30分もあれば、と読んでいたが、モンツァのアウトドロームに着くのに1時間以上もかかってしまった。

 それでも、深く、しっとりとサーキットを包む森の佇いは、捜しあてた喜びをさらに大きくふくらませてくれるものだった。M3だけが、コースを疾駆していた。どうやら、BMWのドライバーズトレーニングのようなものが催されている。ゼッケン の白いM3。ドライバーに見覚えあり。ニキ・ラウダだ。赤いキャップとトレーナー。
花のドーもに紛れ込んで

モンツァ・アウトドロームのストレート ミラノ中央駅前のロータリー
三方を湖に囲まれた城塞都市マントバで待っていたものは……
 スタンドをあちこち動き回る。自動車ミュージアムは生憎とクローズドの日。

 しからば、と探検にでる。富士の30度バンクによく似た廃墟を発見。藪を掻き分けてコースをじかに確かめた。かつての難所シケインだった。

 夕陽がしっとりと、あたりを薔薇色に染めあげながら、沈んでいく。そこにある己れの果報に感激。

 ミラノへUターン。が、A4ルートは大混雑。高速から降りたのが間違いのもとで、いつしかコモ方向へ。

 再びUターン。やっとの思いでミラノ市内に入ったものの、いま自分たちが市内のどこにいるのか、見当もつかない始末。こんなの初めての経験。それほどにミラノは方角の読めない街である。

 やっと国際見本市会場が現れ、ドーモをやりすごしたりして、くたくたに疲れて、アンドレオーラのホテルへ。

 10月18日はいつもの朝食から始まった。
 ホテルを9時前に出た。カメラチーム(吉丸、谷)が合流して、プリズマとオペルディーゼルとの併走だ。谷君がしっかりしたロードMAPを携えているので、スムーズにA1に入れた。無線で2車は連絡を取り合う。アウトストラーダは、ミラノを出ると空いてきた。快適。ロンバルディ地方の豊かな自然がいやでも目に入る。緑の穀倉地帯。樺の林。あくまでも真っ直ぐに伸びていくハイウェイ。 
 そんな豊かな穀倉をめぐって中世の封建領主たちの血みどろの自衛と抗争がどんなものだったのか。

 ポー川をたどりながらの旅もありか、などと想いをめぐらせているうちに、いつのまにやら浅い眠りへ。

 検問に会う。SAに誘導され、コロンボ刑事に似た男たちに、パスポートと車検証をいったんは持っていかれた。この物々しさは何だ! 防弾チョッキをつけた警官がこちらを見張っている。日本人に対する取締りが、このごろ厳しくなったという。

 モデナの手前でA122号線に入る。左折、北上。ポー川を渡った。たっぷりと水を湛えている。
 
マントバ・スッドで高速を降りた。モントバには創世期のモータースポーツシーンのヒーローのひとりのヌボラーリ・ミュゼオを訪ねる予定であった。

 石造りの城壁に衛られたその街は、ローテンブルグと見紛うばかりだった。中世の趣きをいまに遺す佇いにほっとする。幹線道路の脇にぽっかりと、生活圏を区切って、この街は生き長らえてきたわけだ。赤煉瓦のしっとりさがいい。 ヌボラーリのミュゼオは3時からだという。で、広場を抜け、レストランを探す。

 3時を過ぎて、いそいそとロケハンのため、博物館へ。
 タンジオ・ヌボラーリ。ミッレミリオの英雄。セピア色の写真が壁にかけられている。キーホールダーと亀のエムブレムを購う。湖で三方を囲まれたマントバ。この街が気に入った。
 夕暮れが迫った。急ぎ足でシルミオーネへ。ガルダ湖畔。明るすぎる観光地。ここで走りを撮っておこうと心づもりしていたのに、すっかり靄っていて、アルプスの山並みが見えない。不調。 徳さん(徳大寺有恒)との合流が待ち遠しい。ホテル着、8時。通訳役の阿部氏来訪。近くの海鮮料理レストランで、揃って晩餐。すぐに眠りにつく
町の三方を湖に囲まれた城塞都市
マントヴァ。石畳の広場にて。
下は、イタリアレース界草創期の英雄
タッジオ・ヌヴォラーリの記念館。
アルファ164で石畳の町に入る エンツォ・フェラーリお気に入りの英雄 シンボルマークの亀
 
■雨のミラノ 初めてのピレリ本社訪問

 10月20日(木)午前6時10分。モデナ、プリンシペホテル104号室。
 今朝もやっぱり、6時前に目が覚めた。ミラノでの雷鳴のモーニングコールもたまにはいいが、ここは平和そのものだ。鳥の囀り、走り去るクルマのエンジン音、クラクション。騒々しくはない。イタリアの鳥はカンツォーネでも歌っているつもりなのか、オクターブが高い。それもなにやら、小川のせせらぎに聞こえた。
 昨日は雨の中を歩いた、歩いた。お蔭で腰がパンパンに張り、肩はかちかちに凝ってしまった。
 昨日は雨の中を歩いた、歩いた。お蔭で腰がパンパンに張り、肩はかちかちに凝ってしまった。
 雨のミラノは初めてであった。撮影隊はシルミオーネに赴いた。9時15分にジローさんとロビーで待ち合わせ、ピレリー本社に表敬訪問する予定だった。成田で用意した「月桂冠」セットとPAL変換した「ベストモータリング」を手土産に。タクシーがなかなか拾えないので、中央駅前まで出て行ったが、やっぱり駄目。結局、ホテルへ戻って、呼んで貰う。女性の運転手だったが、これがなかなかのドラテクの持ち主。A112のおばちゃんがヨロヨロと左に寄せてきた時、さりげなく、ドーンとブレーキング。そのなにごともなかったような走りっぷりはさすがだった。
 写真で何度かお目にかかっている円錐型の冷却用煙突、蔦がびっしりと貼りついた建物群。ここがピレリグループの大本営か。
 ニューマン広報部長と会うのは、これで4度目。コモまで行っていたとかで、10時を過ぎてから、賑やかに現れた。こちらからの手土産をひどく喜ぶ。お返しだといって、ミラノの写真集を手渡してくれた。これがなかなかの出来のもの。スターリング・モスの珍しいVTRを一本鑑賞してから、いざ、わがBMのお披露目を、というときになって、なぜか映像が現れず。ニューマン部長を驚かせることができず、残念。
 ランチを一緒にどうか、と誘ってくれたが、こちらは買い物をするいいチャンスなので、辞退。タクシーでいったんホテルへ。12時5分前着。

 傘をさして、市内にむけて、ブラブラ歩き。中央駅の左手、ベネッチア通りを目指す。革コートの専門店を発見。婦人用も多い。革が滑らかで、いかにも高級な感じがあって、このあといろんな店を見たが、ここが一番!マロン色のジャンバーが気に入ったが、袖がいささか長すぎた。店の主人が熱心だ。カットするから、いつまで待てるか。いや、これからモデナに行くから駄目だ、と伝えると、21日には必ず用意しておく、と食らいつく。値段も70万8000リラを5万円にする!と、きた。これは買いだ!

 ドーモをめざしてさらに歩く。迷う。途中、ミシェル製品を売りにしている店に入る。娘のために、若向きの小さなハンドバッグとポシェット、それに財布、キーホールダーと、男物のクラッチバッグ(ザ・ブリッジ/1万円)を加えた。歩き疲れて、ドーモからタクシーで帰る。1600リラ。
ヴィツォーラテストコースの見取り図(クリック) コントロールタワーからの眺望 るウェットハンドリングテストに力点を置く
マラネッラのフェラーリ本社へともかく行ってみよう
 部屋で一休み。東京へいくつか電話連絡をとる。東京は午前11時だった。

 中央駅へ。16時05分発のボローニャ行きのEXPRESSと聞いていたが、そんな標示なんてありゃしない。切符もどこで買ったらいいか、わかりゃしない。やっと、売場がワンフロアー下にあると知った。モデナまで16700リラは安い。200ドルを換金してから、プラットホームへ。列車の旅はお奨めだ。モデナまでは182`。車窓にも夕闇が迫ってきた。馬で駈ける男と女のシルエットが甘い。ふたりの向こうにポプラの高い並木。まるで印象派の絵を切り取ってきたようなショット。雨は上がった。

 18時、モデナ着。タクシーを拾ったが、プリンシペホテルは、すぐ目の前だった。運転手は陽気に、近かったことを謝る。受付の女性が、撮影隊から8時に着くと連絡のあった、と告げる。ではブラリと、初めてではないはずのこの街を歩くとするか。前に泊まったホテル(フェラーリのネクタイを買った)はどこだったか。エミーリア・イーストの端っこだったと記憶している。

 思いもかけず古い城郭があったりして、お決まりの迷歩もたのしいが、ショッピングとなると、賑やかな通りはあるが、これといった品物はない。手ぶらでホテルへ。

 9時になって、やっと撮影隊の到着。散歩のときに目星をつけておいたステーキハウスで晩餐をとることになる。ロケ中、大井君が軽い接触をやったと報告あり。店を出ると、また激しい雨。仕事の本番はこれからだ。
10月22日、ミラノ時間、午後5時20分。東京へ帰るAZ178便の機内。

 やっと日本へ帰れる。うんざりする量のイタリア料理をやっと平らげ、周りは眠ったり、映画をみたり、だ。
 さて、モデナの日から、メモをしたためる時間がなかった。20日の午前中、アンサのマーケティング部のシニョール・グルワーニがホテルまで迎えにきてくれた。まず、マセラッティ社へ。ホテルの右脇をオーバーブリッジ方向へ左折したら、その橋のたもとにマセラッティ社はあった。前夜、迷った終点あたりでないか。

 工場を見学しただけで、すぐにマラネッラへ車首を向けた。30分後、ぼくらはフェラーリの正面玄関にいた。レストランとF1ショップ。ぼくらへのサービスのつもりなのか、なんだかわざわざという感じで、黒い幌をかぶった348らしき試験車が2度も駆け抜けてくれた。こちらも、それにこたえて、キャノン、オートボーイでパチリ。
マセラッティ社のシンボルマークはネプチューンの鉾
 次はランボルギーニ。25周年記念モデルがちらっと見えたが、撮影は不可能だった。そこから、ロンバルディ特有の曲がりくねった、林を抜けるワインディング道を走る。着いたのは例のレストラン『ラ・ローザ』。あれから改装したらしく、内部はモダンになっていたが、味のほうは昔のまま。マーケティング部長が迎えてくれた。「月桂冠」と「BM」を渡す。

 午後からはアンサ本社。このあたりからヒサシ監督の動きに仕事らしさがこもってきた。
 オートメカ化が進んでいた。大衆車への対応のためだった。348搭載用は一日にせいぜい3〜4個の完成がいいところだという。クラフトマン気質に焦点を合わせよう。
珍しくラインの撮影OK。これもアンサーの威光
 ミラノにもどると9時を回っていた。みんなが食事にいくのを、ぼくだけ断って、すぐに寝てしまった。ともかく、このままではカロリー過多が心配。

 翌21日は7時起き。8時前にアンドォーラを出て、ビッツォーラへ。記憶の糸を手繰り寄せながらの道中は、格別の愉しさがある。アルペンサ空港を左に見て、あれっ、途中にこんな空港があったっけ、などと首を傾げてしまう。谷底へ落ちていく感覚。おっ、ビッツォーラは間近だと、すぐに分かった。

 この日は珍しくアルプスの白い山並みが丸見え。やっぱり、例のピレッリレストランで昼食。撮影隊はコモ湖方面へ移動。アルファロメオの広報車を受け取るのが、ぼくに割り当てられた役。ニユーマン氏のドライブする944ターボに便乗してミラノへ。
アンサー社。クラフトマンの技をじっくり拝見
 ピレリからアキャレパパにあるアルファデポまで、結構な距離があった。渡されたのは33のステートワゴン。強引にでも164を借りてやれば、このあと、大井君らロケ隊のスケジュールを狂わせることはなかったのに、と悔やまれる。もう一つの悔いは、その33ワゴンで市内に戻り、例の革ジャン屋へ袖口をカットしたのを受け取る。着てみてガッカリ。袖の脇がたっぷりと拡がっていたのだから、無理に短く切り詰める必要はなかった。かえって脇がひっかかる。チンチクリンだ。革の質はいいかもしれないが、妻に笑われてしまいそうな買物になった。

 モンツォーニを経て、モンテナポレオーネ通りに出た。シャネルの店がわからずじまい。徳さんをガレリイホテルに迎えに行ったのが7時15分。すでにロビーで待っていた。
アンサーのマフラーはかくのごとく工芸品
「燦鳥」は予約で一杯とか。中央駅付近の「蘭」を紹介された。まずまずの味。終わり際になって、ヒサシ監督と大井君が合流。打合せをかねて、再び徳さんのガレリイホテルに戻る。徳さんとヒサシグループとがなかなか噛み合わず、先行きに不安が残ったが、疲れ果てて、ホテルへ。いよいよ、明日はミラノとお別れか。

 深夜映画は、フランケンシュタインのコミック版を流していた。つい、終わりまで観てしまった。1時半。熟睡。
22日、午前7時、初めて目覚し時計に起こされた。10時、大急ぎでナポレオーネ通りへ。試しに、地下鉄で行ってみた。前夜、徳さんから「シャネル」の場所を教えてもらったので、今度は大丈夫。「フェンディ」が隣にある。このあたりにいいブランド店が集まったこともあって、日本人客がゾロゾロと。

 さて、ホテルをチェックアウトするに当たって重大なことに気付いた。日本への帰り便は、着いたときのレナーテ空港ではなく、アルペンサからだったのだ。際どいところだ。陽気なイタリア・デ・ナポリの運転でアルペンサへ。なんと10万リラもかかる。

 出発までの時間だけはたっぷりあって、やっとAZの客となれた。         (この章おわり)

§このときの取材は88年の『ベストモータリング』の1〜3月号に掲載した。
ランボルギーニ社の手作りライン テスト走行に出るカウンタック なんと公道でのテストランを撮影に成功