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ピレリNEWタイヤP700/P600試乗会でスペインへいらっしゃい!
■好きなあの娘(ピレリ)の甘い誘いには勝てないよ 

 のっけから内輪話で恐縮だが、(1985年)6月26日発売号から『ベストカーガイド』は月2回刊にシフト・チェンジした。したがって、この春ごろのぼくの忙しさといったら、その準備で異常なほどであった。

 そんなさなか、ピレリーの日本総代理店である阿部商会から「ピレリーのNewタイヤの発表、試乗会をマドリッドで開催するので行かないか」というお誘いをうけた。日程は4月20日からの10日間だという。

 ぼくは考えこんだ。本心は、もちろん、GO! である。が、10日間も日本を留守にするのは、いろいろとうまくない。
 同じ季節の3年前、同じようにピレリー社の招待でヨーロッパを訪れている。ピレリーの日本市場進出10周年を記念してのイベントであった。その際のピレリー社のもてなしは予想を超えるものであった。前菜として、ピレリーのP8を標準装着に採用したスウェーデンの「サーブ社」訪問が用意されていた。

 スープにはP7の共同開発先「ポルシェ社」、ときた。しかも両自動車メーカーとも誠心誠意、ピレリーのお客様にすぎない「日本からのジャーナリスト」を、大事にしてくれたのだ。そこに流れる精神は、連帯感というのだろうか、ともかく自動車を通じて何かを理解し合おうよ、交流し合えてうれしいね――そんな温かいハートなのである。

 たとえば「ポルシェ社」では、こうである。バイザッハ研究所を見学したあとでテストトラックを開放しての試乗会、翌日はホッケンハイムでのサーキットラン。その上、好きなポルシェで一日、どこへでも行ってらっしゃい、ときたもんだ。
 ピレリーの本拠地ミラノへ移動して、しっくりこちらが「ピレリー漬け」にあったのは、それからである。なんとも見事な献立ではないか。

 デザートもついていた。「ビルシュタイン社」でショックアブソーバーの高品質さを見学させられたあとニュルブルクリンクで、その年発足したばかりの「WEC戦」も観戦できたのである。

 これだけの大盤振舞いをしながら、ピレリーの人たちからは何の要求もない。ともかくピレリーの本質をじっくり味わってくれればいい、という大らかな構えで、むしろぼくらとの国際交流をひどく愉しんでいたのが、ともかく印象的であった。こんどの招待はどんな仕掛けになっているのだろう? なんでも世界各国から250人余りのジャーナリストが招かれ、そのうち日本人は14人だという。結局、万難を排して、ぼくはヨーロッパへ行くことにした。
スーパーカーブームの震源地
 まっすぐにマドリッド入りしたわけではなかった。コペンハーゲンを経由してミラノへ運ばれ、そこからアドリア海に近いモデナの町へ。イタリアン・ドリームカーのカロッツェリアが蟠居する凄い町である。

 運悪く、フェラーリは工場を改装中だとかで訪問できなかったが、ランボルギーニ、マセラッティの2社と、古いフェラーリを鮮やかにレストアしている何軒かのカロッツェリアを駆け足ではあったが、覗くことができた。
 いかにもゆったりと、カウンタックとジャルパの2つのラインに分かれてドリームカーを組み立てていくランボルギーニ社。
町工場の片隅にフェラーリの名品と遭遇
デトマソ氏のテコ入れですっかり蘇生したマセラッティ社は、ラインのロボット化も進み、なるほど活気に満ち溢れていた。

 この一連の自動車メーカー訪問をサポートしたのは、エキゾーストマフラーのメーカーとして知る人ぞ知るアンサー社である(もちろん阿部商会がその総輸入元)。

このあたりにイタリア自動車工業の奥行きというか、歴史の厚みを感じさせる。
 極限まで絞り出したエンジン出力を、さらに数馬力でもパワーアップする最後の切り札として、彼らはアンサーマフラーを重用する。だからアンサー社の工場には、フェラリーをはじめ、世界のあらゆる超高性能車がもちこまれ、より効率を高めるためのテストが繰り返されている。

 ちなみにこの秋の東京モーターショーに出品されるのだろう、シャレードのちょいと元気のいい奴もアンサー社に送りこまれていたりして……。

 マフラーメーカーがちゃんとした市民権をもって、自動車メーカーのパートナーとして緊密に連携している構図は、どこかの国のそれとは大いに隔たりがありすぎた。

 モデナの町でもう一つびっくりさせられたことがある。一般公道をテストコースさながらに大胆に疾走するマセラッティのクァトロ・ポルテやビトゥルボ、そして真っ黒なカウンタック500に何回遭遇したことだろう。

 町の人たちはそのコースをそれぞれのメーカーの名前をつけて、たとえばランボルギーニ街道などと呼んでいたが、電装計器類の最終チェックや、ハンドリングテストを公道でやってしまう――なんとも、牧歌的な、スーパーカーブームの震源地ならではの話だと思わないか。

 こうやってムードの盛り上がったところで、ぼくらはイベリア航空でミラノから、やっとマドリッドへ。
マセラッティ社とアンサー社
★ああ、928Sが消えた

 ぼくら――と、あっさり書いてはいけなかった。三本和彦、徳大寺有恒、岡崎宏司、舘内端、望月修、米村太刀夫、清水和夫、伏木悦郎、早津美春といった、この道の凄いプロ集団なのである。それに大川悠、吉田匠といったベテラン編集者も加わっている。道中の賑やかさといったらない。そこへひとつの情報がもたらされた。
「ピレリーのテスト車が3台潰れたらしい。そのなかに1台しかないポルシェ928Sが……」
 ピレリー社では世界の自動車ジャーナリストを言語圏でいくつかに分け、延々1か月にわたってこのイベントを展開していた。それも2つのステージを用意して。

参加した日本のモータージャーナリストの面々とピレリーの技術陣(クリックで拡大)

 まず郊外の一般公道を使ってのヒルクライムで、ニュー高性能偏平タイヤのフィーリングをテストし、つぎにハラマ・サーキットで思いっきり極限時の性能を知ってほしいという段取りだ。

 928Sが哀れにも潰れたのはヒルクライムの時で、やったのはドイツ人ジャーナリストらしい。さっそくからかわたのが若い清水和夫さん。彼はタイヤのグリップ限界を超えるところで走った方がリズムに乗りやすいタイプの〈全開マン〉。はたで見ていると冷や冷やものだが、ご本人はいつも涼しい顔でマシンを操っている。
「冗談じゃない、ぼくはプロですよ、任せなさい!」
 ともかく全員一致で、マシンを壊すのはドイツ人に任せて、日本人の華麗なテクニックを、イタリア人に見せてやろうじゃないか、と申し合わせたのは当然のなりゆきであろう。

 マドリッドのホテルに入ると、さっそくPシリーズの第2世代として登場するP700/P600の発表および技術説明会が待っていた。

 懐かしい聞き憶えのある大きな声。ピレリー社技術部長のセミン氏のものである。彼はトルコ人。実力で異国の企業で生き残っていてくれたのだ。なにしろタイヤの話はやたら数字が多く、難しいのですぐに眠くなる。彼もそれを知っていてニヤニヤしながら、声のボリュームをさらにあげる。

「わがピレリー社は1974年にポルシェと共同開発した50/55超偏平のP7を世に問うて以来、ロープロファイル・ラジアルのパイオニアとして世界のタイヤ業界をリードしてきた……」

 傍で徳さんがうなずく。小声でぼくに耳打ちする。(もうP7が出て11年も経ったもんね。そのP7が存在しなかったら、ターボを含めた911シリーズは生き残ったかどうか疑わしいよ。タイヤがクルマの基本設計理念にまで影響を与えてるなんて素晴らしいと思わない?)と。

「P7はその後も、つねにタイヤを形成している原材料を吟味し、設計や実験で得た技術によって、さらに細部にわたってきめ細かな改良を行なってきている。後発デビューの60偏平のP6もトータルバランスに優れたラジアルとして、たとえば86年用のホモロゲーションをとったベンツW124は、このP6を指定するほど、素晴らしい評価を得ている。しかし今回ご案内のP700/P600はP7、P6の延長線上のものとして開発されたのではなく、4年間にわたる基本的な改良と新しい技術の発想から生まれたもので、それはP7が初めて開発されたときと同じ挑戦であった。むしろ、それを上回る困難な仕事でもあった」

 徳さんはまたも呟く。(そうなんだよな、充分な時間と資金をかけて新技術を開発し、それを熟成してから新製品として登場させる。これがヨーロッパ流のやり方だぜ)

 つまりは、P7、P6に追いついてきたコンペティターへの、ピレリーはもっと前に行ってるよ、という明快で自信たっぷりな回答が、P700/P600にこめられている。
 
たった14人の日本人のために……

 プレスコンファレンスから解放されて、ホテルのTVのスウィッチをONにした瞬間、ぼくは目を剥いた。なんと画面に流れ出したのは、P700/P600の激しいテスト光景であったからだ。

 あのF1ドライバーのネルソン・ピケが黒いピレリーの帽子をかぶったまま(ピレリーはどんなテストでもヘルメットをかぶらないのが通例だ)、ハラマ・サーキットの各コーナーをP700装着のBMW・M635CSiでせめまくっている。画面はつづいて、デレック・ベルの操るポルシェ944ターボが、ツィスティなコーナーを駆け抜ける姿を映し出す。どうやらバイザッハのテストトラックのようだ。

 P600のデモンストレーションはサーブ9000ターボでエリック・カールソンが雨と霧のアウトバーンをぶっ飛ばすシーンであった。北ドイツ、リューベックのマルクトプラザからオーストリーのザルツブルグ・エアポートまでの道程、1020km.を6時間28分、平均時速156qで走破するドキュメント記録は、こちらを惹きこまずにいられない迫力ものだ。
 それにしても――と、思う。なんという心憎いピレリーの演出か。

 翌朝、コーヒーを飲みながら、広報担当のニューマン氏にさっそく探りを入れてみた。「ホテルのTV画面を専有するのに、いくらかかったのかな? それにしてもナレーションが日本語なのには、恐れ入ったよ。準備がたいへんだったんじゃありませんか?」
「よく訊いてくれた。このイベントに間に合うよう、日本語版をつくるのには苦労したけどね」
「ぼくら14人だけのためにかい?」
 そこでニューマン氏は片目をつぶってみせる。
「もちろん、きみらはピレリーのVIPだぜ!」

 これだから、ピレリーの人たちにはかなわない。ゆうべのパエリアは日本で食べたのよりマズかったけど、きみらのメニューの素晴らしさに免じて、許すとしよう。
「そうかい。あすの晩はこのマドリッドでいちばん美味しい日本料理を食べさせる<ミカド>を予約してあるからね」

       *      *     *
 4月27日、テストの第1ステージである。マドリッドからバスで小1時間ほど北上したグァダラマ山脈の麓の小さな町に着く。ここでは、8台の試乗車で指定のコースを思い思いに走ってよいという。
 徳さんと示し合わせて最初に選んだのはP600/55VR15が装着されたサーブ9000ターボ16。昨秋のパリオートサロンで見初めて以来、早く日本に輸入されないかなと、恋い焦がれてきたクルマである。

 ステアリングは徳さんに譲る。時折、対向車がやってくる程度の、のどかな田舎道を下っていく。
「オトナだね」
 徳さんの感想である。マシンともタイヤともとれるが、結局はそのマッチングのよさをいっている。

 長めのストレートでサーブ9000のメーターは確実に200q/hを超えていた。と、左回りの大きなコーナー。
P700はこの車のために開発されたのか それくらいマッチしていた
P700直進性がいいから、ブレーキも自然な感じできれいにスピードを殺してくれる。ロールの量は大きい。が、徳さんは滑らかにコーナーを脱出していく。スロットルのオン・オフでも9000の姿勢は全く乱れない。あとでぼくがステアリングを操った感じでは、FF高性能車のパワーにP600はまったく負けていない。むしろ、タイヤの方がシャシーより勝っている感じだ。

 このヒルクライム・シリーズの圧巻は、長い下りのストレートから30Rくらい右回りのコーナーであるが、ここでポルシェ928Sがクラッシュしたと知らされてうなずけた。というのも、白バイが2台、さりげなく停止して、ぼくらを監視していたからである。はたして、その難コーナーを地元の人たちは「ポルシェコーナー」と呼ぶだろうか。あるいは「ピレリーコーナー」か。

★あのピケより速い男だぜ!

 なにごともなく、ヒルクライム試乗会が終了した。事件といえば、一周15qのコースの終盤近くの右手にダムのような小さな湖があり、そこへ紛れ込んだときである。

 2人のスペイン娘が湖畔でコカコーラを優雅に飲んでいた。さっそく声をかけて記念撮影。で、そのひとりに名前をたずねると、黒い大きな瞳でこう答えてくれた。
「わたし、メルツェデス!」
 ベンツ創始者の愛娘と同じ名前にしては、彼女たちのクルマがゴルフであったのはご愛嬌か。
 再びバスに揺られて、いつの間にか眠りの世界へ。着いたところが、こんどの旅の最後の舞台、ハラマ・サーキットであった。
「よし、おれはネルソン・ピケだぞ!」
 そう己れに暗示をかけ、ヘルメットをかぶり(せっかく用意してくれていたのだから)全長3・4qのコースへとび出した。ま、コースに慣れるためには前輪駆動車が手頃なので、ゴルフGTI(P600装着、185/60R14。このサイズではほかに、プジョー205GTI、エスコートXR3が用意されていた)を選んだ。1コーナーは筑波サーキットのそれに似た複合コーナーであるが、そこまでのストレートの長さが圧倒的に異なるので、むしろ鈴鹿のつもりで突っ込んだほうがよさそうだ。
ハラマサーキット GOLF-GTIでウエット路面に挑む
 すぐにピレリーお得意のスラローム用パイロンが配置されていた。これは表向きはハンドリングをチェックするためだが、オーバー・ペースを防ぐ意味でもおもしろい。

 つづいて比較的Rの小さいふたつのコーナーには、スプリンクラーを特設して、ウェット性能が探れるようにしてある。ここをパスするとあとはもう全開のドライの路面。左へグーンと駆け上がり、富士の100Rに似た右回りコーナーを4速から3速にシフトダウンして征服すると、あとは下りの大きなS字が待っている。

 P6に比較して、きたるべき高性能4輪駆動車も意識して開発されたP600の、コーナーでの踏んばり感は、いかにも安定していて、ドラテクがあがったのかと錯覚してしまうほどだ。

 谷底に落ちていく感じでヘアピンに飛び込む。3速から2速へ。多分、清水、伏木の両若手プロは、4速全開から3→2と忙しいだろうな、とつまらぬ連想をしながら再び上り坂へと駆け上がる。
 最終コーナーは、下り。バーンとゴルフGTIのお尻を左に振ってストレートへ駆け下りる快感を味わえるようになったのも、3年間、富士フレッシュマンレースに、年甲斐もなく挑戦してきた賜物か。

 1回あたり3ラップのサーキット試乗の2台目は、BMW・M635CSiである。いよいよP700への挑戦。3・5gの24バルブ、285ps/6500rpmの大パワーをぼくの腕で調教できるだろうか。適度に硬められた足回りと、205/55VR16、225/50VR16のP700のコンビネーションは、そんなぼくの不安をあっさりとり払って自由自在にハラマを疾駆させてくれた。

 スロットルを閉じ気味にしながらステアリングを切り込む。と、テールが張り出し、素直にコーナーと肌を合わせてくれる。クリッピング・ポイントで右足に力をこめる。セクシーなBMWサウンドが一段と高まると同時に、マシンはお尻を流しながら猛然と加速していく。
「やっぱり、おれはピケだ!」 P700を履いたM635Ci いいアングルで飛び込んでるね

 そんなうれしい錯覚をぼくに与えてくれるP700。もちろん、ピレリーの人たちが、「ぜひ味わってほしい」と期待しているパワードリフト時の安定性を、100%感得できたとは思えないが、その匂いだけは明らかに嗅ぎとった。

         *     *     *

 ハラマの日が昏れて――といっても、ヨーロッパはサマータイムを採用しているので、午後6時をすぎても陽はまだ高かった。ぼくらはなにひとつ事故を起こすこともなく、サーキットランを終えて、マドリッドへの帰途についた。それぞれが、その日の興奮を胸に秘めて、押し黙って、バスの車窓から特徴のあるスペインの山肌に見入っていた。

 日本のタイヤは、この数年、ピレリーをターゲットに開発を重ね、高性能偏平タイヤを克服したかにみえる。が、このピレリーの第二世代、P700/P600の登場で、間違いなく、その差を拡げられてしまったようだ。たしかに一皮むけるまでの初期段階ではいい勝負をしたとしても、それが1万qを超えたあたりからの差異はどうしようもないほどだ。ピーキーな性能をもつタイヤは別にしても、トータル性能を競うとなると、日本のタイヤメーカーにはまだ荷が重すぎるのだろうか。

 ハラマ試乗が終わった後のセミン技術部長の挨拶はこうであった。
「なんて素晴らしいドライブテクニックをもった日本のジャーナリストたちよ。われわれはこのイベント開催中、あなたがたからのプロとしてのアプローチ、プロとしての対話をこんなに愉しめたことを、驚嘆をもってよろこんでいる。われわれの2つの新製品はいかがでしたか。大いに興味をもっていただけたと思う。
 われわれはこれからも前進するだろう。新しく超高性能4輪駆動車用の製品に、いま大きな関心をもって取り組んでいるところだ。どうぞ近い将来、再びお目にかかれるのを楽しみにしている」

 なんという自信たっぷりな余裕だろう。ちなみにこれら新製品は今秋ごろから発売され、P7、P6と併売されるという。彼らは最後にこう宣言した。
「ピレリー社は業界第1位の会社ではない。だから飽くなき開発技術力で世界のタイヤメーカーに挑戦していく」と。

 やっぱり、ピレリーを超えられるのはピレリーしかないわけだ。     (1985年ベストカーエクストラ掲載)

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