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眠ったままのMEMOをたたき起こす……WEC仰天観戦記
■技術を磨き、こころを磨いている。それが歴史を守るということか 

 ぼくは歴史が好きだ。歴史のもつほんものの重み、深い味に触れるのが、とても好きなのだ。

 今回の17日間の日程で、5つのイベントを盛り込んだ「ピレリ漬けの旅」の終わりを迎えながら、ぼくはずっしりとした手応えを感じている。本物とは、こうやって熟成され、育てられてのち、やっと世界の一流品となることを。

 いくらヨーロッパの一流品をつきつけられても、ぼくのなかでは「日本」を通してしか、その意味合いを、受け止めることができないでいた。ただ単に、その歴史だけをひけらかすものは、もう滅びるしかない、と思っていた。しかし、その歴史を大事に育てながら、新しい世代に対しても開発を怠らない。つねに技術を磨き、こころを磨いているこいつらは、凄い力の持ち主だと知ってしまった。

◎ピレリー P7以降の開発ぶり。P8、P5。CN36の古さ=ポルシェ911。いま偏平タイヤを高効率の観点で捉えている。フットワークの研究→ヘッドワークなのだ。
◎ポルシェ スポーツカーへの揺るぎない自信。アウトバーンとワインディングの両面を同じように征服するマシン。馬力とトルク。やたら馬力だけで売ろうとする輸入総代理店「三和」に問題あり。ユーザーを盲だと思っている。なぜ、正しく育てようとしない?
◎ビルシュタイン トリアという古い町。ワイン、アウスレーゼ。ローマ帝国の北限で遺跡がごろごろ。工場見学。ひたすらショック(ガス封入)にこだわるその自信はどこからくるのだろう。
◎ニュルブルクリンク コースを走って、納得。
◎サーブ P8の積極的な採用。

 磨き抜かれた逸品。ニュルブルクリンクの描写。本当の姿をみんなに知ってもらいたい。以下、やっぱり眠ったままのMemoのうち、5月27日以降を収録しておこう。

おれたちゃ、サンシャイン軍団さ

 5月27日。ホリデイインを9時に出立。ビルシュタインからの迎えのバスのシートは硬くてリクライニング式。ライン河のほとり、Spiterでいったん休憩。4時すぎにトリアの街に入った。途中、昼食を摂ったホテルはウィーンシュトラッセにある由緒あるところ。Trierはローマ帝国の侵入に抵抗して、城壁をつくったというくらい、古い街だった。モーゼル河。古代ローマ浴場、劇場。20キロむこうはもうベルギーの国境。街道筋にあるホテルに一泊。この日もダブルのベッド。黄色の壁に花柄模様の安楽椅子。まことに乙女チックなり。

 5月29日。深夜1時30分。新茶のパッケージを取り出し、洗面所から熱いお湯を注ぐ。たちあがる香り。「味の粋」をポリポリとやる。明朝もまた8時半にホテルを発つ予定。だからバッゲージづくりに忙しい。なんで、こんなに荷物をもってきてしまうのか。ひとりの時間がない、メモを書く暇がない。ぼやきの日々。そうするうちに、もう旅の終わりに近くなって、やっとその気になり出した。食事、体調が馴れてきたせいだろう。

 BAD NEUENAHRという、有名な保養地のシュタインベルガーという格式のあるホテルが用意されていた。137号室。8時にモーニングコールがあるという。なのに6時40分には目が覚めていた。9時に出発。バスはニュルブルクリンクへ。1時間足らずで着く。

 プレスレビューに出てから、コースへ。のんびり。オフィシャルもピリピリしていない。通路もあっという間にピットにつながっていた。パドックは別。ジャツキー・イクスが地下道から飛び出すTVのCFがここで撮ったもの。この日も、やたら快晴。おれたちゃ、サンシャイン軍団さ、と笑う。ビルシュタインのモータースポーツのボス、エムデ氏に不可能の文字はない。レース終了後、バスで一周のサービス。驚いた。夜はパーティ。

 5月30日、日曜日。コペンハーゲンを発って、アンカレッジに向かう機上にて。

 今度の旅ほど、フリータイムのない、ぎっしり日程のつまったことはない。日程そのものがハードなのではなく、先方の対応が、だんだん奥行が深くなったことと、みんな揃っての夕食が終わると、すでに12時に近い。出かけるところもなし。ホテルが中心部から遠い、素敵なやつが多かったことにもよる。

 ニュルのサーキットホテルのプレス夕食会が済んで、バスでバートナイワーの、あの天井の高い、格調のありすぎるホテルに帰り着いた時は、もう11時過ぎ。といっても日がとっぷり昏れるのは10時近くだから、そんな時間とも思えない。部屋から外を眺める。なんとももったいない街のたたずまい。テラスの向こうを川が走り、尖塔の黒い姿が月の光を浴びて、だんだんに露わになってきた。

 カジノもあるという。ぶらりと散歩に出る。やっとひとりになった感じ。
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保養地で有名なバートナイワーのホテル前にて

ライン河畔ローレライの岩の前のレストラン
 モーニングコールに起こされる前に、すでに荷造り。ニュルからそのままフランクフルトに向かう予定である。
 
 9時30分、サーキット着。10;00、パドックへ。ランチャマルティニに人気が集中。前日のクラッシュと打撲にも負けないでパトレーゼが出ている。
 ロンドーのロルフ・シュトメレンはこの国の英雄、前日、バスでこのコースのガイドをしてくれた。
 11時、第28回ADAC1000`耐久戦がスタート。フォーメイションラップは1周22,8`のコースだから、正面スタンド前のストレートから第1コーナーをクルリと回り、ピット裏を抜け、第2コーナーを入るところで右に大きくショートカットし、高速道の流入口のようなバンクを小さくターンして、再び正面前に戻ってくる。
 
 ぼくはピット前にいた。あっという間に青信号になつていた。あれ、あれ。レースは始まっていた。と、第1コーナーでアクシデント発生か。オフィシャルと救出車が慌ただしくコースに飛び出した。と思ったら、ド、ド、バ、バッ、ギューンとトップ集団が第2コーナーを今度は左へ折れ、下りS字の高速コーナーへ消えた。
 7分あまりの静寂。アナウンスの声だけがやたら大きく感じられた。なにやら喚きたてているのは フォードC100がトップにいるかららしい。管制塔の手前に電光掲示板があり、トップがいま、どこを走っているかを教えてくれる。そうでもしないと、間延びる。豆電球が一つにつながりコース図が浮かび出たとき、轟音とともに先頭集団が還ってきた。

 全車が一周を終えた。打合せ通りにねぼくらは正面スタンド右端の記者席へゾロゾロとし移動。(ここではプレスカードは万能。その発給ぶりも簡単そのもの。富士スピードウェイの勿体ぶったやり方に比べて、どうだ!)
 記者席にたどり着いたのと同時に、2周めを終えたトップグループが時速300キロをこすスピードで駆け抜けていく。この難易度ウルトラのコースに耐え抜いて帰ってくる彼らに「やあ、お帰り」と声をかけてやりたくなる。
■第1コーナーのクラッシュに巻き込まれかけた「ふたり」
 CGの笹目氏がただならぬ、青ざめた、ひき吊った表情でそばへ来た。
「死に損なったんです。バーンとラジエターがとんできて、すぐ隣の人がぶっ飛んで、ぼくは咄嗟に横に伏せていたんです」
 え!? 第1コーナーに行ってたのか。
「能登山君と一緒に。彼は金網をよじのぼつて逃げました」「みんなカメラマン?」「そう、22番(BMW、地元で大人気)がバッと押し出されて、こっちに吹っ飛んできたんです」
 彼の報告がグループに行き渡り、みんなが集まって来た。慄然。良助氏も「もし巻き込まれていたら!?」と、首をすくめる。
 一時の興奮が収まると、笹目青年はプレスカードをどこかで紛失しているのに気付く。レースに戻る。51番が@を抜いた。G6仕様ノランチァ集団はレギュレーションの変更で、3年目の今年が最後。なんとしても、いまのうちに勝っておきたい。タイヤはP、ショックがB。今回のテーマにぴったりのマシンなのだ。良助青年が手を叩くわけだ。
「このままで行けば阿部商会は万々歳!」
 その途端、51番は白煙を吐いてピットIN。慌ただしくピットが動く。51番は一挙に6位まで順位を落とす。@が逞しく周回を重ねる。局面はしばらく膠着状態に。
パトレーゼの走りをじっくり味わう

 12時からFISAのバレストロス会長とADAC会長とのプレスコンファレンス。かれらは日本のモータースポーツ界を、なんとしても巻き込みたい意向を隠さない。ADACは会員700万人。数こそ、JAFとさほど違わないものの、その質といい、伝統、歴史となると勝負にならないのを、ぼくらははっきり知っている。香港の出資で中国にサーキットが建設されるというニュースの提供。欧州のレギュレーションをもとに汎太平洋、アメリカとを一つにして新しい世界選手権を発足させるべく、彼らは走り出していた。

 バスでコーナーの見える観覧席に移動。見所となるコーナーにはパーキングが設けられていて、クルマと観客が溢れている。キャンピングカー、上半身を裸にした若者たち。思い思いにレースを楽しんでいた。多分、ルマンも同じ光景だろう。

 最初にへばりついたのは、左回りから急坂を駆け下り、谷底から右へ切れ込み、パトレーゼが吹っ飛んだいわくつきのジャンピングスポットが待ち受けるポイントだった。富士のグラチャンマシンに出てくるようなクローズドマシンは、バンバン跳ねながら、ドライバーが腕力でコーナーをクリアしていくのに較べ、サルーンクラスはテールを滑らせ、カウンターを当ててくぐり抜ける。タイヤのスキール音の合奏。

 お次は、少し戻って、最後のストレートに挑むちょいと手前の、左右に捩れ、しかも高低差のある高速ベント。サンドウィッチを齧りながら、熱い日差しをもろに浴びる。観客を掻き分け、叢の斜面に貼りついて、カメラのシャッターを押しまくる。

 300ミリの望遠レンズ。CANON。ドイツの若者の注目の的だった。ビールを飲めと金網越しに執拗に迫る、朗らかに。レース初日からこのポイントに座り、仲間とキャンプ暮らしをしているという。それは親父の世代から引き継がれ慣わしであつた。この辺の違いに衝撃をうけた。きみの家の伝統はわかったが、なぜこのポイントなの? だって、ここが一番難しいコーナーでドライバーの腕とマシンが一体になっていないと吹っ飛ぶからさ。

 各車は丘の頂上から左に回り込む。このときマシンがホップする。ステアリングが真っ直ぐでないと、たいへんなことになるはずだ。下るとリアがばたつく。それをがっちりと抑えこんで、右、左のCPにきっちり車首を向けないといけない。それが終わると、アクセル全開で長い、長いストレートへ。C100で時速350Kmに達するという。そのC100がボッ、ボッと頼りない、鈍いエキゾースト音でぼくらの前を通り過ぎる。と、BM320にあっさりパスされた。ピットにたどり着けるのかな。エムデ氏の話によれば、各車とも5周でピットインして、給油、タイヤ交換、ドライバー交替をやるらしい。

 やがてC100がリアアクスルのトラブルから息の根をとめた、と知る。あとはランチァ50番の独壇場だった。51番はタイヤトラブルなどから20周目にリタイヤしている。そこで変だな、と気付いた。なんと51番をドライブしていたパトレーゼが、いまでは50番の方にも乗っているではないか。パトレーゼ、パトレーゼと絶叫する場内アナウンスとラジオの声。2カーエントリーの場合、ダブってエントリーできる仕組みだった。Xという名前で……。なるほど、そんなのアリとは面白い。

 そのパトレーゼが高速ベントを物凄い勢いで駆け降りてきた。オフィシャルが青旗を出す暇もないほどのスピードだった。あっという間に先行するアスコーナのINについた。高低差が激しいから、アスコーナのミラーに50番の姿は映らなかった。気がついたときはもう、右後方から50番はパスしようとしていた。ハンドル操作とブレーキング。タイヤがロックして左に流れる赤いアスコーナ。やった! 身を竦めた瞬間、アスコーナは体勢を立て直す。パトレーゼも右のタイヤをコースからはみ出させながら、懸命に耐える。耐えながら高速ベントをクリアする2車。アスコーナは50番の強引なパスを許さなかった。

 旗を出し遅れたオフィシャルをよく見ると、20歳前後の可愛いコちゃんだった。結局、50番の独走でレースは終わった。24番のフォードロンドーは2位に。シュトメレンの健闘。日本車ではランサーは予選落ちしたが、71番RX―7は総合6位、GT―Uクラス優勝である。

 フィニッシュはメインスタンドから見た。レンズで捉えた表彰台。ドライバーの真後ろでカメラを向ける山本浩道オーテク氏の姿。きっとどこかの世界のモータースポーツ誌面を飾るに違いないぞ。            (この項おわり)