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タイヤも高性能だが、ジャーナリストの扱い方はさらに超えていた……
なぜかその時、古い映画の主題歌を 
そのひとは夏の終わりに、ひっそりと逝った。
8月29日、彼女の67回目の誕生日に。


「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」が聴きたくなった夜
 ここまで書けば、そのひとがスウェーデン生まれの女優、イングリッド・バーグマンだとおわかりいただけるだろう。少年時代のぼくはバーグマンに心を奪われていた。「カサブランカ」「ジャンヌダルク」「誰がために鐘が鳴る」など、スクリーンに大写しされた彼女の清潔な姿態と、薄幸な役柄にしびれたものだった。

 バーグマンの訃報を知ったとき、ぼくの脳裡になぜか、この5月の4日間を一緒にすごしたピレリの人たちの顔が、一つ一つ、浮かびあがった。『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』の甘い旋律につつまれて。

 古いアメリカ映画のよさは、かならずといってよいほど、ストーリーの転変にかかわる、美しいメロディーとなり、主題歌をつくりだしたことだ。バーグマンの『カサブランカ』は、かつてパリで愛しあったふたりが異郷で巡り会い、背をむけたままのふたりの心をとかすのが、『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』の旋律だった。たしか『時は流れて』と訳されていた。
 ピレリの人たちは、夜ともなると、ぼくらの泊まっている古い中世の砦をそのままホテルにした「キャステロ・ディ・ポメリオ」のレストランで一緒に晩餐をたのしんだ。ミラノからわざわざ著名なピアニストをよんで演奏をさせる心のくばりようが見事だった。

「なにかリクエストはないか」
 ホスト役のペドローニ氏(輸出部門のボス)が、子牛の肉をきる手をとめて、ぼくに訊く。 中世の砦をそのままホテルに改造した「キャステロ・ポメリオ」
の庭で夜毎、ピレリの人たちと交歓。
 
 先刻から弾いている曲は、どちらかといえば50〜60年代のヒットソングが多い。
 そこでふっと聴きたくなったのが、バーグマンにまつわるその曲。それは唐突なリクエストではないという計算がぼくにあった。

 ペドローニ氏も、ピアニストのディノさんも、ぼくと同じ世代と見たからだ。第2次大戦でいったんは廃墟と化したイタリア。物資に恵まれなかった少年時代。そして映画で知ったバーグマンの魅力。どこかで共通していてほしかった。
「あれはいい曲だ」 ペドローニ氏は大きく肯くとリクエストを取り次いだ。ピアニストのディノさんも、おっという表情でこちらにウインクをくれてから、滑らかにイントロを弾きだした。隣のテーブルにいたニューマン氏(海外PR担当)は、うれしそうにこちらへやってきて2メートル近い巨体を折り曲げながら、握手を求める。彼にもなにか思い出につながる曲らしい。言葉や国の違いを越えて、一瞬のうちに通じ合える。その感動が、ぼくの心をキュンと締めつけたが、そうした彼らの舞台造りのうまさには脱帽する。
夜毎、交歓の舞台となった「中世の砦」
 たしかにぼくらは、ピレリ日本市場進出10周年を記念して招かれたゲストであり、ピレリのもつ歴史と先進性、技術の高さを知るためにミラノへきたのだが、彼らのぼくらに接する姿勢は、けっしてビジネス・ライクなものではなく、クルマを通じてとことん話し合える友人になろうじゃないかーーそんな誠実な心くばりに終始していた。

 たとえばニューマン氏。ミラノ空港で出迎えてくれた瞬間から、ぼくらが「ヨーロッパ特急」でシュツットガルトへ出発するまで、ぼくらのホテルに泊まりこみで面倒をみてくれ、片時たりとも”空白の時間”はないという徹底ぶりだった。この人には家庭がないのだろうか、と憶測したくなったが、どっこい、元オペラ歌手の夫人がお別れパーティに顔を見せてくれ、他人ごとながら安堵したものだ。

■お目当てのテストコースは秘境気分 

 こってりと、ピレリ・タイヤのプロダクト・コンセプトと優秀性を叩きこまれ、いささかウンザリした翌日、ぼくらは貸切りバスにのせられ、コモからミラノへくだるアウト・ストラーダに入った。

 目的地はヴィッツオーラ。そこにはピレリ社のタイヤテストコースがある。高速道路からいったん右に折れ、アカシアの森をぬけると、四方を丘に囲まれた絶妙の窪地におりていく。
 前方に赤と白に塗りわけられたコントロール・タワーの頂き。

 コースは、ごく自然なたたずまいといえた。走行路には風に吹かれて、落ち葉が舞っているし、路面もごく一般路に近い、鈍い光沢をもっている。
「その通りだ。ここは考えられるすべての道路のパターンが収められている。一般の人が一般路を走るような状態でテストできなければ、生きたタイヤは開発できないからね」
 と、ニューマン氏の解説。そのコースのひとつひとつに人工雨天システムが装備され、ほんの霧雨から台風クラスまで、自由にコントロールできるともいう。まあ、その程度のことは、日本のタイヤ・メーカーのテストコースも充分、やっているし、もっと大規模で、サーキットばりにバンクをつけたコーナーもある。
 走ってみなければわからないが、どこか人間くさい、なんとも自然のままなのだ。 イタリー北端のコモ湖に遊ぶ。
下はヴィツォーラ・テストグランドのピレリーテント
 
「その通りだ。ここは考えられるすべての道路のパターンが収められている。一般の人が一般路を走るような状態でテストできなければ、生きたタイヤは開発できないからね」

 と、ニューマン氏の解説。そのコースのひとつひとつに人工雨天システムが装備され、ほんの霧雨から台風クラスまで、自由にコントロールできるともいう。まあ、その程度のことは、日本のタイヤ・メーカーのテストコースも充分、やっているし、もっと大規模で、サーキットばりにバンクをつけたコーナーもある。走ってみなければわからないが、どこか人間くさい、なんとも自然のままなのだ。

「タイヤの開発にとって真に必要なは、データや数字ではなく、テスターたちの血と汗のにじんだ感性なのだ」というピレリの人たちの声が聴える。

 はじめにウエット・ブレーキテストが用意されていた。車速を70q/hにキープしたところで指定地点でフル・ブレーキングして、制動距離とタイムを測定する。水深30ミリ。クルマはミラージュ(タイヤはP8)とファミリア(P3装着)の2台である。水上を滑走しながら、70q/hに保つのは、かなり慣れがいるらしく、何度かやり直しをさせられる仲間がいた。

 いよいよ、ぼくらの番。P3のファミリア(155SR13)で水煙の方向へ直進した。指定ラインあたりでフル・ロックさせる。ブレーキをゆるめてはならないぞ、といいきかせながら、クルマが完全停止するのを待つ。なかなかノーズダイブしなかったところから推測すると、制動距離はかなのものだろう。

 スタート地点に戻ると、テスト・ドライバー氏が銀紙にプリントされたデータをよこす。「71.1q/hでブレーキングして、39.6mが制動距離、所要時間3.9秒」

 2度目のトライはP8のミラージュ(175/65SR14)で。ブレーキングのタイミングを誤りオーバー・スピードでつっこんだようだ。結果は「73.0q/h、38.7m、3.6秒」と出た。そうだろう。明らかにP8の方が、ブレーキしてから、いかにも水を払いのけてくれる感じで、ノーズの突っ込みも確実に体感できた。
 
ウエットノハンドリングで知るP8

 さて、つぎは、パイロン・スラロームによるコンフォート・テストをパスして、ぼくはウエット・ハンドリングテストを選んだ。
 提供車はオペル・カデット1.3Sが2台。最初はP3、あとでP8で走るという。ちょうど自動車教習所のコースに似ている。小高い丘を越え、ヘアピン・カーブを織りまぜた、ちょいとしたテクニカルなコースだった。スプリンクラーがクルクル回り、雨降りと同じ状況が再現されていた。

 なんとコンピュータ計測でラップ・タイムをとるという。となると、いささか熱くならざるを得ない。はじめにピレリのテスト・ドライバー氏がぼくらを乗せてコースを一周した。慣れているといえばそれまでだが、水飛沫をあげながら、各コーナーを鼻唄まじりの大カウンター大会で抜けて行く。

 全長700mを、日本の自動車ジャーナリストたちは50秒から53秒の間で走破した。
 P8に履き替えたカデツトはP3の体験からいささか恐怖心に駆られていたドライバー両腕から、確実に力を抜いてくれた。タイヤが違うだけで、同じ滑り易い状態でのドライビングがこんなに楽しく感じられるとは!
 ただし、タイムはむしろ落ちたようだ。どうやら、P3の場合はオットットでコーナーをやっとクリアしても、減速できないまま通過しているので、タイムだけはあがったのだろう。

 で、ぼくのタイムは、徳大寺有恒、岡崎宏司の両プロに超されたにすぎないことを報告しておこう。もっとも、CG誌の笹目さんのように、こうしたタイム・アタックは無意味で、もっと〈滑り味〉をたのしむべきだという意見には、傾聴するものがある。

 走り終わって、樹陰にしつらえられたテントに入り、一服しようとした。と、ピレリのラウレリア嬢がコーヒーをサービスしてくれる。この女性はイタリアの女優、ロッサナ・ポデスタに似た美女である。
「どうですか、日本のジャーナリストの走り方は?」
 と、聞いてみた。
「クレイジー!」
 予想もしない感想がはね返ってきた。どこが「クレイジー」なのかは、次回へ。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ラウレリア嬢のいう、どこが「クレイジー」なのかは、結局、書いていない。読者からも「次回へ」はどこに行ったのか、と揶揄われたりして、それに応えるつもりで、一年後に「ベトスカーEXTRA」に掲載したのが『ピレリー感傷論』である。蛇足ながら、当時のメモも記録しておくこととした。