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PROLOGUE 16歳と白薔薇の君
「まだあげ初めし前髪の……」ではじまる島崎藤村の詩「はつ恋」を愛唱したのは、高校2年の晩春だった。「前に挿したる花櫛の……」と、小さく声にしたあとで、長い髪の、一つ年上の少女の面差しをなぞってから、思いっきりヴォルテージをあげる。「花あるきみと想ひけり」! そのことだけで、16歳の心は甘酸っぱく幸せになれたものだった。

 それが、16歳の初恋だった。八幡高校図書館地下での文芸部合評会が終わって家路についた。大蔵の停留所までのだらだら道を下る。すぐにやってきた西鉄電車黒崎行きに乗ってみて、不意に気づいた。刷り上がったばかりの『帆声』に「大井川」という中編作品を書いた人として紹介されたばかりの3年生女子部員の黒く大きな瞳がそこにあった。どこで降りるのかな。中央区を過ぎても彼女はまだ残っている。視線を合わせないようにしたのは何故だろう。中央区から先は区外通学である。ぼくもその一人だが、この電車には彼女以外に同じ高校生の姿は見えなくなっていた。外はいつの間にか、雨が降りだしていた。傘がない。困ったな。緑町に着いた。電車から降りると、難を避けて、向かいの店の軒先に駆け込む。と、その人が傘を拡げて近づいてきた。
「どうぞ、よかったら……」
 
 ぼくのこと、この人は憶えてくれていたのか。堀川通りを一つの傘で上がって行った。まるで雲の上を漂う気分で、ほんの5分の道行きが、スローモーソョンをかけたように、30分にも1時間にも感じられた。ただ一つ、垣根を這った白い薔薇が雨に打たれていたのを、いまでも鮮やかに想い起こせる。
「あたしの家、ここです」
 その人は足を止めた。傘を持って行け、という。
「いいです。ぼくもすぐその先ですから……有難う」

 5月の雨の中へぼくは飛び出した。いっきに舞い上がったのだ。その日を境にぼくの文学熱はさらに燃え上がった。ツルゲーネフ、アンドレ・ジッドを次々と読破していく。「狭き門」のアリサがどうしても、秘かに「白薔薇の君」と名づけたその人のイメージにオーバラップしたり、やはりその頃に観たイタリア映画「明日では遅すぎる」のピア・アンジェリがその人そのものに見えたり……稚い、自分勝手な恋は、それでも少年を東京の大学に進んで見せるという、一生に関わる志だけは育ててくれた。早稲田で一人前の男に磨かれたら、その人と対等に付き合って貰うんだ、と。

『山姥』と『落陽』  高校時代の作品です このあと『孤影』という120枚のものがあるのですが散逸

福岡県立八幡高校(卒業アルバムより)
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昭和27(1952)年7月発行の文芸誌「帆声」です。
生意気にも16歳で、「山姥」と題する小品を発表しました。クリックして拡大できます。
「落陽」 後日追加
「落陽」A

「高校時代に逢いに行く」の出発点にたどりついた

「会津若松」の同窓旅行記をお届けするつもりが、長々と45年前の古い出来事に回帰しているのをお嗤いいただいても結構です。おのれの高校時代に焦点を合わせようとすると、どうしようもなく、そこへ引き戻されてしまう。もうちょっとだけお付き合いあれ。

 福岡県立八幡高校6期生たちの動静は、戸田裕一君や浜田陽平君らが情熱を籠めて創ってくれる「同窓会報」で、うっすらと触れることはできていた。が、96年秋の「還暦旅行」への誘いには、心が動いてくれなかった。その年の春の中学校時代のそれには、いそいそと赴いているのに……。何が原因なのか、ぼく自身、納得のいく答えを摘み出せずにいた。が、近年になって得心のいく答えがみつかった。どうやら、「ひと恋そめし」その時期とかかわりあっていることに……。

「一人前の男になったら、その人に堂々と交際を甲し込む」
 そのつもりで大学生活を始めた途端に、その人は早々と嫁いでいった。その瞬間から、ぼくのなかで「わが青春の八幡高校」は見事に凍結してしまったものらしい。以来、40年余、「八幡高校」はぼくのなかで昏々と眠りつづけているものと信じていたが、どうやら、そうじゃないことに気づいてきた。

「還暦」を迎え、それまでひたすら走りつづけてきた走者が、この道の始まりはどこだっけ? と問うたとき、はっと蘇ってきた景色が、書き出しの「雨の下校風景」だったのである。
 
 やっと「高校時代に逢いに行く」出発点にたつことができたわけである。